SPORTS もうひとつの風景
佐藤 次郎
スポーツには、見ている人に大きな感動や夢、希望、大きく言えば、人々に生きる力を与えてくれる普遍的な価値があるように思えます。なぜ見ている人を魅了するのか、いろいろ考えても答えは見つかりません。本書では、各スポーツで活躍する選手や指導者、関係者の一人一人に、スポットライトを当て、日頃、見聞きしない話が書かれています。
栄光の陰には、大きな挫折や不運な出来事がある中で、その自己と真摯に向き合い、現実に起きたことを、未来へ向けて挑戦していく姿が多く取り上げられています。本当に強い人間になっていく人は、「筋書きのない人生を、自分自身の可能性を信じて努力していける人ではないか」と、多くの実体験を通して語られているように思えます。現場で指導されている方々が読まれることで、目標や夢を諦めない大切さを伝えられるのではないでしょうか。スポーツを通して努力していくことの大切さが伝わる一冊だと思います。
(辻本 和広)
出版元:東京新聞出版部
(掲載日:2012-10-16)
タグ:挑戦 人生
カテゴリ スポーツライティング
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スタンフォードの自分を変える教室
ケニー マクゴニガル 神崎 朗子
意志力の科学という、スタンフォード大学生涯教育プログラムの公開講座をもとに書かれた書籍である。「意志力が変われば、人生が変わる」というイントロダクションから本書はスタートしており、人間誰しもが抱える、誘惑や依存症、注意散漫、物事の先延ばしなどの悩みに対し、意志の力で自分を変えるための様々な気づきを与えてくれる。
意志力とは「やる力」「やらない力」「望む力」という3つの力を駆使して目標を達成する力だと書かれている。経験論に基づいた自己啓発的なものではなく、科学的な根拠をもとに書かれてあるのがポイントであり、意志の力を用いることは人間に普遍な変化をもたらすものである。
ただ、大切なのは知識として本書の情報をストックするのではなく、いかに本書の内容をそれぞれの生活で使っていくか、ということではないだろうか。また、「運動が脳を大きくする」ということで、運動に関するポイントにも言及しており、意志力を上げるためには運動は欠かせない。社会的には、「運動=健康」という概念だけが浸透しているが、そもそも、運動が自分の人生をよりよいものにしていくという考えが広まっていけば、日本におけるスポーツ文化を定着させる足掛かりになるだろう。
「運動が脳を大きくする」と、書かれています。意志力を上げるためには運動は欠かせないと。「運動 = 健康」という点以外にも、よりよい人生を送るためには運動は欠かせない! つまり、こういうことでしょうか。
(浦中 宏典)
出版元:大和書房
(掲載日:2013-09-27)
タグ:運動 人生
カテゴリ 人生
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走りながら考える 人生のハードルを越える64の方法
為末 大
本書は侍ハードラーという異名を持つ為末大氏が25年の競技人生の中で考え、悩み、実践してきたことが赤裸々に書かれている。
陸上の世界選手権のトラック競技(400mハードル)で、2度のメダルに輝いた同氏だが、競技人生の中では数々の挫折も経験している。彼の「挫折」の捉え方は非常に面白く、「挫折があるからこそ感じる本当の喜びと優しさもある」と本書で語っている。人生は思い通りにいかないことがほとんどであり、努力は報われないことが多い。頑張った人が成功するわけでもなく、それでも人は懸命に生きるしかない、と。エリート・アスリートである著者が放つ、これらの言葉は、私たちに元気を与えてくれる。
考えすぎて動けない人が多い中で、「走りながら考える」というタイトルは、陸上競技選手、為末大をうまく言い表しているなと思う。その一方で、競技をしながらも陸上競技の先に何をしたいのかを常に考えていた著者には、1歩先、2歩先を「考える力」があったのであろう。
今まさに競技人生の中で戦っている人はもちろん、ビジネスパーソンにも一読の価値がある。
(浦中 宏典)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2014-03-12)
タグ:陸上競技 人生
カテゴリ 人生
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サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて
田口 ランディ
死を悼み悲しむより
もう一昨年のことになるが、自慢の父が75年の実り多き人生を全うした。平均よりも若く、しかも大動脈解離によるあまりに急な逝去ではあったが、100年の月日に勝るとも劣らない、充実した人生を父は歩んだものと信じている。
父の周りには、いつも自然と人の“和”ができていた。そして、その人たちを陰から支え、喜んでもらうことに喜びを感じているようでもあった。
仕事をリタイヤして10年も経ていたが、予想をはるかに上回る大勢の方々が葬儀に足を運んで下さった。父の人生は、人との出会いという賜物によって彩られていたともいえる。その出会いが宝であるとするならば、大きな財産を抱えて父は西方浄土へ旅立っていくこととなった。
上記のような内容で、父の会葬御礼をつくり、引物に添えた。“死を悼み悲しむより、これまでの生を礼賛するような葬式にしたい”これは偶然にも父が亡くなる数週間前に(不謹慎だけど、という前置きをして)聞き出し、父の人生を絶賛する約束をしてあったのだ。
お斎(とき)の席でも、どうか賑やかに笑って父を送り出して下さいとお願いをした。皆さん、涙ながらも父との思い出を愉快に語り合い、大いに盛り上がって葬式とは思えない大宴会となった。一般的にはタブーかも知れないが、生きているうちに聞いておいた父の希望を叶えることができて本当によかった...。
というのはしかし、強がっているだけなんだなあ。あんなに急に死ぬんじゃないよ。本音を言えば、危篤の状態でもいいからせめてひと目、生きているうちに会いたかった...と家族は皆そう思っているのだ。
サンカーラ
さて、今回は田口ランディによる『サンカーラ』だ。
東日本大震災の後、「ブッダについて書いてみたい」と思い立ち、ブッダの教えを拠りどころに「震災後の一年間を通して」「人生から問われた様々な体験について」書かれた、「無常の世をさまよいながら紡ぐ、日常のものがたり(帯より)」である。
生きること、老いること、病むこと、死、生命について考えつつ書き、学び、学ぶほどに迷い、そして書き、「私はなにがしたいのか、私はだれなのか、私はどう生きたいのか」といった、人生における根本的な問題に迫ろうとしている一冊だ。「書けば書くほど、なにかが決定的にズレて」いて「結局、原稿は未完のままだ」とあるが、その先は読者が独自につくっていかなければいけないよと言ってるのかなあ、と思わされたりもする味わいもある。
人は誰しも“死”に代表されるような究極の場面にいつかは遭遇する。遭遇し“体験”することで何かが変わり、別の到達点へと考えを進めることになる。しかし到達したと思ったゴールが、実は新たなスタート地点となり、進んだはずが不思議なことにもとに戻っているというグルグル問答を繰り返し、凡人の頭脳はショートして煙を上げる羽目となる。「サンカーラとは、この世の諸行を意味する」。生まれてこのかた身につけてきた考えや、思い、好み、クセ、信念、信条などの蓄積だ。全てこれらは“無常”であると、ブッダは言った。生きて仏になった人の言葉だ。理解はたやすいが、わかるのは難しい。
勝負とは命のやり取り
オリンピックはスポーツにおける一つの究極であることに異論はないと思うが、スポーツにおける勝負とは命のやり取りのことだ。そのことが画面から伝わるからこそ、テレビで見るだけで深く感動したり勇気(生きる力)をもらったり私たちはするのだろうと思う。だからメダルを獲得するような選手はやはり奮っていて、インタビューのたびに言う事が一皮も二皮も剥けていき、終いには名言の宝庫と化してしまうことがある。そのような若者を発見するのが、オリンピックを夢には見たが所詮凡人だったオッサンの密かな楽しみにもなっている。
先のロンドンオリンピックでは、ボクシングミドル級の村田諒太選手が印象に深い。「金メダルを取ったことがゴールではない。金メダルを傷つけない、金メダルに負けない人生を送るのが自分の役目」という意味のことを言っていた。けだし名言である。
日常は奇跡の連続
さて、またまた私事で恐縮だが、父のことがあった半年後、今度は私が“一命を取り留める”という経験をすることになった。詳細はいつか述べたいと思うが、現代医学のおかげで命はつながり(新しい命をもらったという気さえしている)、こうして駄文を綴り、〆切と闘えるほどの体力を快復することができた。
この体験を通し、日々生きていることは実は一瞬一瞬が奇跡の連続なんだなあ、ということを学んだ。
では、その先はどうか。生まれ変わったように、タメになる名言...うーん、出てこない。しかし、そんな相も変わらぬ日常が、悔しくも嬉しく、愛おしい。
(板井 美浩)
出版元:新潮社
(掲載日:2013-02-10)
タグ:人生 生と死
カテゴリ 人生
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不屈の翼 カミカゼ葛西紀明のジャンプ人生
岡崎 敏
著者は北海道出身。国内での葛西紀明選手の実力に対する評価の低さ、ひいては五輪時以外のジャンプ競技への注目度の低さを少しでも変えるべく、フィンランドなど海外にも足を伸ばして丹念な取材を行った。まとめられているのはソチ五輪の直前までだが、五輪で個人・団体ともメダルを獲得した葛西選手の活躍をまるで予言するかのようだ。往年のトップジャンパーとの戦いや交流の記録は、ジャンプ競技そのものの歴史の振り返りにもなっている。
葛西選手は高校1年で札幌大会に初出場してから、ほぼ毎年W杯に出場。転戦しながら、毎年変わるルールやコーチの入れ替わり、各国のジャンプ台に対応しているという。その研究熱心さは、悔しさから来ている。現役期間が長いということは、それだけ不本意な大会や状況もあったということ。それを力に変える姿に圧倒される。
また、北海道・下川町での少年時代のエピソードも豊富だ。最初は危険だと反対の声もあったそうだが、周囲の指導者たちが葛西選手の才能、そして誰よりも努力する姿を見て、「若いから」と高を括らず支援したことが、現在の葛西選手の土台となっているのではないだろうか。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:日刊スポーツ出版社
(掲載日:2014-04-10)
タグ:人生 スキージャンプ
カテゴリ スポーツライティング
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鉄骨クラブの偉人 オリンピアン7人を育てた街の体操指導者・城間晃
浅沢 英
アテネオリンピックにて、体操男子日本代表は28年ぶりに団体金メダルに輝いた。メンバーに名を連ねた 6 人のうち 3 人のジュニア時代に関わったのが城間晃氏だ。
だが城間氏の歩みは華やかとは言い難い。選手としての自身を「二流」と言い、その後悔から小さな町クラブで美しい体操を教え続けた。
取材当初は専門知識はなかったという著者が練習を見学した感想は「地味」。ジュニア期に基本を反復するのは確かに地味だが、なくてはならない過程だ。それは体操だけでなく全てに言える。城間氏が基本を貫いたように、そこに光を当てたのが本書なのである。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:KADOKAWA
(掲載日:2016-05-10)
タグ:人生 体操 指導
カテゴリ スポーツライティング
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高齢者が働くということ 従業員の2人に1人が74歳以上の成長企業が教える可能性
ケイトリン・リンチ 平野 誠一
齢をとりたくて仕方がない
マスターズ陸上などというベテラン選手の大会に出るような人たちは“齢をとる”ということに関して、世間とは少しばかりズレた価値観の中で暮らしている。“長老”が偉いのは当然のこととして、とにかく皆“早く齢をとりたくて仕方がない”のだ。
マスターズのカテゴリーは5歳きざみでクラス分けがされていて、ひとつのカテゴリーの中でレースタイムが同じだった場合、1日でも年上のほうが勝ちとなる。“齢をとるほど体力が低下”しているはずだからだ。そういった意味では、たとえば80歳クラス(80~84歳)では80歳より84歳が有利となる。
しかしまた、ひとつ上がって85歳クラス(85~89歳)になると、今度はそのクラス“最年少”選手として若手のホープに返り咲くことになるのである。
だから88歳の誕生日を迎えられた大先輩に米寿のことほぎを申し上げに行ったとき、“そんなことはどうでもいい”と、遠い目をして宣ったとしても動揺してはいけない。“ああ、早く90(歳)になりてえなあ”とのお言葉が後に続くからだ。マスターズとは、まさに“40、50ハナタレ小僧。60、70働き盛り。男盛りは80、90(歳)”を地で行く世界なのである。
家族経営の工場が舞台
さて、今回は『高齢者が働くということ』。「ヴァイタニードル社」という、アメリカ東部にあって、特殊な注射針などを製造する従業員約40名の家族経営の工場を舞台としたものである。ごく普通の(むしろ小規模な?)製造業ではあるが、ただひとつ違っている点は、従業員の半分を74歳以上の高齢者が占めているところにある。
著者のケイトリン・リンチは気鋭の文化人類学者だ。文化人類学の研究手法に「フィールドワーク(現地調査)」というのがあって、ある文化を共有する集団に対し“外部者”としての目から観察したりインタビューしたりするのだそうだが、もう一歩踏み込んで“内部者”として時間を共にすることで文化の特性を分析しようとする「参与観察」という方法があるそうだ。著者は、約5年の取材期間のうち3年近くを「従業員」として勤め、ヴァイタニードル社の内部にいながら外部者としての観察眼を発揮するという綿密な取材を敢行して本書をものしている。
ケイトリン(この工場では従業員同士を含め社長に対しても互いにファーストネームで呼び合う。従業員の中には先代の社長時代からの者もおり、現社長が少年の頃から知っている)には、「インタビューでたびたび使用してきた質問」に「あなたはお年寄りですか?」というのがあって、従業員は誰もが戸惑いを隠せないようだった。「老い」というのは「文化的に構築された」ものであって、彼らの反応は「年相応の振る舞いに対する文化全体の期待に応えよという社会の圧力があることを指摘する」ものであるという。
働く理由
従業員たちは「人柄や経歴、働く理由も千差万別である」が「働くことに対して、給料だけでなく、帰属感や友達づきあい、さらには生産的なことをしている実感ややりがい、誰かの役に立っているといった経験を求めている」のである。
最高齢が99歳(2011年現在。ほかにも10代からあらゆる世代)の従業員を抱えるこの工場は、「ヴァイタ」すなわち「ラテン語で『人生』という意味」が示すように「まさに人生が(それも意味のある人生が)つくり出されている」「成長企業」であり、世界が注目する「エルダリーソーシング(高齢者に仕事を任せること)」モデルとなっているようだ。
かつてスポーツ界では25歳を越えると“ベテラン”と呼ばれる時代もあった。ましてや30歳を越えて活躍する女性アスリートというのは皆無に近かった。今では35歳を越えてもなお世界の一線で活躍するアスリートも少なくない。
しかし人生80年の時代を迎え、競技の絶頂期を過ぎてからの人生はあまりに長く、引退後のセカンドキャリア問題は多くのアスリートにとって重くのしかかる。競技力を問わず(それによってメシを食っているいないにかかわらず)人生の大きな位置を占めていたものと距離を置くことになるからだ。なんとしてでも、別の人生を死ぬまで歩み続けなければならない。
こうなったら“90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ。100になって迎えが来たら、耳が遠くて聞こえません”を目指そうじゃないか! と、潔くないかもしれないが50代のハナタレとしては訴えたいのである。
(板井 美浩)
出版元:ダイヤモンド社
(掲載日:2014-10-10)
タグ:人生 働く 組織
カテゴリ 人生
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スラムダンク勝利学
辻 秀一
中・高校生のバスケットボール人気に火をつけたと言われる漫画『スラムダンク』の中に、スポーツのみならず人生に勝利するヒントがあると述べる辻氏。「根性は正しく使う」「今に生きる」「あきらめは最大の敵である」「波を感じる」など、何にでも応用のきくテーマを、スポーツを題材にやさしく説いた。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:集英社インターナショナル
(掲載日:2000-12-10)
タグ:人生
カテゴリ 人生
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すず
千葉 すず 生島 淳 藤田 孝夫
2000年6月のCASによる裁定が下された瞬間の前後に広がる千葉さんの物語を紡ぐのはライターの生島淳氏、そして彼女の10年を撮り続けた藤田孝夫氏。「一生に一度、一冊だけでいい」。千葉さんは「あとがき」でそう語り、まるでこれまでの人生に決裂するかのように皆に感謝する。──せつないものがこみ上げる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:新潮社
(掲載日:2001-11-10)
タグ:人生
カテゴリ スポーツライティング
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アスピーガールの心と体を守る性のルール
デビ・ブラウン 村山 光子 吉野 智子
通過儀礼
私が身を置く大学は47都道府県すべてから学生を受け入れ、“医療の谷間に灯をともす。”という理念の下、へき地医療を中心とした地域医療を支える医師を育てることを目的としている。
卒業後それぞれの出身地に戻り、地域の中核病院で研修医として 2 ~ 3 年のあいだ働いて力をつけた後、各地の町・村・離島・山間の診療所へと赴くことになっている。
そこで多くの卒業生が大変なカルチャーショックを受ける。これまで学んだ最先端の医療を施してやろうと意気込んでイナカに乗り込んだにもかかわらず、まったく住民から受け入れてもらえないからだ。
そのような通過儀礼を経て初めて、地域のニーズに合った(患者のための)医療とはどんなものかと原点に返って医学を学びなおし、医師としての本当のスタートを切ることになる。
これと似たようなことを、私は赴任したての頃この大学で味わったことを思い出した。
東京で数々の一流選手を見てきた経験から最高のアドバイスをしているつもりが、ウチの学生にはちっとも通じないのだ。なぜ理解できないのだと最初は怒りに震え、これまで会ってきた一流選手たちは一瞬でわかってくれたぞと声を張り上げてはみるものの、学生たちは困惑の表情を浮かべるばかりだった。
これでは駄目だと自分の実力(数々の一流選手に会えたのも決して自分の力ではなかったことも併せて)に気づくのに鈍感な私は数年かかったが、“体育界”の人たちにしか通じなかった感覚を言葉として表す試みを続け、少しずつ分かってもらえるようになった頃やっと“体育教師”としての生活が始まったという実感を得ることができた。
「性のルール」
さて今回は、『アスピーガールの心と体を守る性のルール』。著者のデビ・ブラウンはスコットランド在住で、「アスペルガー当事者」でもある自閉症の研究者だ。
「アスピーガール」とは「アスペルガーの女の子や女性」のことを指している。彼女たちは「こちらが常識やある程度の知識を持っていることを前提として」「曖昧な教え方」をすると理解できず、「誤解して受け取ってしまうことも」ある。だから(世間の考え方に合わせているつもりで)“あたりまえ”の行動をすると、“とんでもない”と世間から批判を受け、「批判されることに敏感なので、深く傷つく」ことが多いという。
とくに「性」に関することは、「体の中で最も敏感で繊細な部分を他人にさらす行為であるため傷つくリスクも高く」なるので、「アスピーガールを守るために」「正しい知識」を身に付けることが重要になる。さらにたとえば「絶対に彼氏にしてはいけない人」の筆頭に「家族や親戚。(父親、義父、叔父、祖父、兄弟など)」が挙げられている。アスペルガーでない者にとっては少々驚く記述だが、アスピーガ ールにとっては「基本的であっても一から確認すること」が重要なのだという。
デリケートな話題だからこそ、丁寧に、可能な限りわかりやすく、しかし直接的な表現は極力用いず淡々と綴られていく。
当たり前の確認
読み進めていくうちに「性」についてこのような、解剖学的・生理学的“以外”の方法による説明に触れる機会は、アスピーガールか否かにかかわらずなかなかないのではないかということに気がついた。また、「性」に関することに限らず様々な“あたりまえ”について、「基本的であっても一から確認」し考え直してみることも人生(職業人としての人生も含め)のなかでは必要なのではないかとも思った。
翻って、今年も全国から末頼もしい学生たちが入学し学園生活にもだいぶ慣れてきたころである。彼ら、彼女らとの年齢・世代的な隔たりがますます大きくなる私にとって、「アスピーガール」に対するのと同じくらい慎重に言葉を選び、学生たちに向か い合っていくことが、これからの課題としてあげられると思うのである。
(板井 美浩)
出版元:東洋館出版社
(掲載日:2017-06-10)
タグ:人生 性教育 アスペルガー
カテゴリ その他
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名文どろぼう
竹内 政明
小説、俗謡、俳句や川柳、詩や落語などから、至言、金言、名言を集めた。いや、盗んできた。ここでは、孫引きならぬ孫盗みをする。
「上司から〈働くとはハタ(周囲)をラクにさせることなんだぞ〉と陳腐な言い回しで説教をされたとき、ただうつむくのもいいけれど、それなら『ジダラク』(自堕落)の方が、自他ともに楽になるから、一層よいのではないか。」
田中美知太郎
うまい。だけど、きっと火に油だ。
「『痛い』
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから
こんなに痛いのか」
工藤直子
これだけ短く的確に、恋するひとの心情を表したものはないのではないかと思った。
並はずれた洞察力を持つ猫、かと思いきや、次のは吾輩の言葉。いずれにしても、さすが漱石。
「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」
夏目漱石『吾輩は猫である』
次のような人生訓もある。
「才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるという奴には叶わない。」
谷沢永一『人間通』
ミもフタもない。が、真実味がある。
「夢は砕けて夢と知り
愛は破れて愛と知り
時は流れて時と知り
友は別れて友と知り」
阿久悠
あたりまえの日常に流されずに、有り難みを感じることのむつかしさをおもう。
「琴になり下駄になるのも桐の運」
江戸川柳
気の利いた言葉には、ユーモアによって現実をいなすようなものが数多い。ある哲学者によれば、ユーモアとは「理性の微笑」のことだという。これもまた、忘れがたい名言だ。
(塩﨑 由規)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2022-10-27)
タグ:人生
カテゴリ その他
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