動く骨・コツ 野球編
栢野 忠夫
スポーツを指導する際に一番難しいのは動きのコツ。指導者が競技経験を有していても、それをじょうずに伝えることが困難なときがある。たとえば野球における動きのコツとは何か。本書の副題は「骨格操作で〈走・打・投〉が劇的に変わる!」。ここで使われる体幹内操法という言葉は、骨格のじょうずな動かし方。また体幹部を源として骨格を操る感覚で動くメソッドとつけ加えることができる。身体操作の基本動作には屈曲、伸展、側屈の動作を融合したものがあり、それらを融合し進展させたものが2種類の釣り合い歩行。
詳しいことは本書を参考にしていただくとして、ここで紹介されるエクササイズには日常動作からスポーツ領域における動きの要素が集約されている。DVD(50分)も付録し、写真、イラストで紹介しているのでわかりやすい。“野球を何年も続けていても上達しない”、“もっと動きの世界を広げてみたい”という方に読んでほしい一冊だが、指導者にこそ読んでほしい野球の動きの骨・コツ。ぜひ一読願いたい。
2007年6月16日刊
(三橋 智広)
出版元:スキージャーナル
(掲載日:2012-10-12)
タグ:動作 コツ 野球
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:動く骨・コツ 野球編
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:
動く骨・コツ 野球編
e-hon
身体知の構造 構造分析論講義
金子 明友
「わざ」の伝承という難題
スポーツの技を伝えて行くにはどうしたらよいのだろう?「不世出の名選手を次つぎに育てていくコーチ、世界の王座に君臨し続ける選手を生み出す名監督は現実に存在」しているのだが「その固有な評価判断の深層構造」はなかなか語られることはない。「それは先言語的な動感意識の深層にあって言明しにくい」のかも知れないが、一般に「それらは『長年の経験によるのだ』とか『秘伝だ』といわれて、その人固有な能力に帰せられ」、一代限りで終わってしまう場合が多い。
今回紹介する「身体知の構造」は、身体文化における「わざ」の伝承という難題について体系化を試みたもので、恐ろしいほどの忍耐力で書き上げられた一連の書物の最新作だ。「わざの伝承」(2002)に始まり、「身体知の形成 上・下」(2005)に続く4冊目である。
最近私が“身体感”とか“身体知”などといったテツガクの匂いがする分野にめっぽう弱いことを知っている某氏の勧めで手にした。白状してしまうと、これがまた頭にガッツンとくるほど難しい。悔しまぎれに残りの3冊も読んでみたら、ようやく、解るかも知れないこともない…くらいの気持ちにはなることができた。悪口ではない。それほど壮大な内容が厳密な言葉をもって記されているということだ。
現象学的な立場から
この「わざの伝承」という難題を解くにあたり、本書の中では「精密性を本質とする自然科学的立場から身体運動を客観的に分析する」という態度はとられない。ビデオで撮影され映像として客観視された、いわば客体化された身体ではなく「私が動くという自我運動として、現象学的形態学の厳密性に基づいて」身体運動の伝え方を分析しようとしている。
科学の尺度では測れない微細な感覚やコツ、あるいはただの主観として片付けられてしまいがちな事象について、かたくななまでに科学とは別の次元、つまり現象学的な立場から(あらゆる先入見を排除して、とはいえ自分がある特有の立場でしか観察できないことを認識したうえで)の分析を試みているのである。
今さらだが、科学は万能ではない。ある事象を科学的に説明しようとするとき、厳密な実験条件を設定する必要がある。雑音を取り払い、問題点を明確にあぶり出すことで客観的に測定したデータが取り出されるのだが、同時に、ある限られた条件でしかそのことが成り立たないという不便さを背負うことになる。
しかも、そのデータのどの部分に着目して、どう解釈し、どのように考察を進めるかという段階で主観が入り込む可能性があるうえ、科学的理論が広く知れ渡るようになると、尾ヒレが付いたり逆にデフォルメされたりして本来伝えるべき内容とは異なった理論(解釈)が一人歩きしてしまう現象がしばしば生じる。正しい科学的な態度とは、定説をつねに疑うこと、というか、何か一つだけのことを正しいと信じ込むのではなく、いつもニュートラルな態度で物事を見つめようとすることだと思う。科学的な見方が正しい場合もあるが、それが全てではないし振り回されてはいけない。たとえば時計にしたって、瀬古利彦氏は『マラソンの真髄』で、「時計はみんなのタイムを公平に計る機械であって、自分の体調を測るものではない」と述べているが、このような状況が当たり前のように起こる。そこには現象学的なものの見方というのがやはり必要になる。
あくまで“私”
本書が科学的立場をとらないもう一つの理由として、こちらが本義だと思うが、フランスの哲学者 メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908~1961)による心身一元的な身体感の影響があるようだ。昔の教科書を引っ張り出してみた。「メルロー=ポンティは、身体のあり方は、芸術作品に似ていて、そこでは、表現する働きと、それによって表現されるものとが区別されないと云っている。つまり、意識としてのわたしが、身体のうちにいるのではなくて、意識の本性が志向性であるなら、身体こそが意識の根源的なあり方であり、しかもこの意識は『われ思う』ではなくて『われなし能う』ということになってくる」(阿部忍著、体育哲学、逍遙書院、1979)。映像として観察されたものは「物の運動」として捉えられており、精神と一体化した“私”の運動ではなくなってしまう。どんな身体運動も実際に行うのは、あくまで“私”であって、その“私”が“今まさに”行っている運動の感じを自得、伝承しようとする行為を記そうとしているのだ。
齢80になろうとする著者が、今まさに現役の学徒としてこの大作に挑んでおられる姿が思い浮かぶ。私感だけれど、ビデオ画像や動作解析データにも“今まさに私が動いている感じ”を身体に投影できるコーチや科学者も最近はいるのではないかと思う。皆さんの目で確かめて下さい。
(板井 美浩)
出版元:明和出版
(掲載日:2008-02-10)
タグ:身体知 コツ 現象学
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:身体知の構造 構造分析論講義
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:
身体知の構造 構造分析論講義
e-hon
ひかる先生のやさしい体育 スポーツのコツを楽しく学ぼう
田中 光
スポーツの基本から始まり、そして鉄棒、とび箱、マット、なわとびといった基本的な運動、さらには水泳や球技、陸上まで、「コツ」のつかみ方についてわかりやすく説明している。イラストには、ポイントとなる動きが言葉で付加されている。身体軸を安定させ、バランスをとるための一連の動きが「カエル支持・カニ支持・サソリ支持」であり、鉄棒では「ふとんほし・だんごむし・ブタの丸焼き」などのネーミングがされ、子どもたちにも理解しやすい工夫が重ねられている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2007-12-10)
タグ:子ども コツ 体育
カテゴリ 指導
CiNii Booksで検索:ひかる先生のやさしい体育 スポーツのコツを楽しく学ぼう
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:
ひかる先生のやさしい体育 スポーツのコツを楽しく学ぼう
e-hon
近くて遠いこの身体
平尾 剛
どのように共有するか
著者は元ラグビー日本代表で、現在は大学の講師。スポーツ教育学と身体論が専門で、「動きを習得するために不可欠なコツやカンはどのように発生するのか、そしてそれを教え、伝える(伝承する)にはどうすればよいかについて思索しています。」とのこと。タイトルにも惹かれて本書を買ったのだが、残念なことに、これについて全くと言っていいほど触れられておらず、著者自身の回顧録のような内容である。オビの推薦文にあるように、本書の内容(=著者の経験知)が「パブリックドメイン」として共有できるとも思えない。感覚も身体の動きも人によって千差万別。たとえトップ選手の感覚であっても、それを共有し、他人が自分の経験知とすることができるものなのだろうか。
「身体能力を高めたい僕たちが本当に知りたいことは、そこに至るにはどうすればよいかという方法論である。でも残念ながらそんな方法論は存在しない。自らが試行錯誤しながら身体を使い続けるなかでの体感を、ひとつ一つかき集める以外に、そこに至る方法はないだろう。」と本文にある。ということは、結局、自分であれこれ試してみるしかないということなのだ。そこに先人の経験知を共有していれば、その試行錯誤の方向性が定まりやすいということはあるかもしれない。だが問題は、それをどうやって共有するか、ということだ。
伝えるために必要なもの
本書で、漫画「バガボンド」について触れられている。吉川英治著『宮本武蔵』を原作とする人気長編漫画である。著者曰く「身体論の研究にはもってこいの書」だそうだ。そこで私は、司馬遼太郎著『北斗の人』を連想した。
幕末に隆盛を誇った「北辰一刀流」の開祖・千葉周作が主人公の歴史小説である。司馬曰く「北辰一刀流がなければ、幕末の様相も多少変わっていただろう」というほどの革命的な流派だそうだ。「『他道場で三年かかる業(わざ)は、千葉で仕込まれれば一年で功が成る。五年の術は三年にして達する』という評判が高く、このため履物はつねに玄関から庭にまであふれ、撃剣の音は数町さきまできこえわたって空前の盛況をきわめた」というほどであり、その特徴は「凡才でも一流たりうる」という独特の剣術教授法であった。そして千葉は、剣法から摩訶不思議の言葉をとりのぞき、いわば近代的な体育力学の場で新しい体系をひらいた人物なのだそうだ。
一方、武蔵が開いた「二天一流」は幕末期には衰退していた。武蔵が記した「五輪書」にも刀の持ち方とか足さばきとか、具体的なことが書いてあり、摩訶不思議な言葉を並べているわけではない。たとえば「太刀の取様は、大指人さし指を浮けて、たけたか中くすしゆびと小指をしめて持候也」という具合である。しかし、この違いはなんだろう。時代背景も違うし、流行が流行を呼んだということもあるかもしれない。そもそも2人の剣豪を比較するつもりもないのだが、ここで私が考えたいのは「凡人でも一流たりうる」ためのコツやカンを、他人に伝えることは可能なのかということである。
本書にあるとおり「言葉を手放し、『感覚を深める』という構えこそが、運動能力を高めるためには必要」であり「『感覚』を拠り所にすれば、そこには努力や工夫の余地が生まれる」のだとしても、その感覚や経験知を伝えるためには結局言葉や方法論が必要なのではないか。
ブルース・リーは映画『燃えよドラゴン』(1973)で「Don’t think! Feel!」と有名なセリフを言ったが、実際には「感じろ!」だけではコツやカンを伝えることはできない。もっとコツやカンとは何ぞやということを掘り下げないと、それをどう伝えるかも考えられない。
本書に紹介されているエピソードに興味深いものがある。ラグビーの強豪ニュージーランドの20歳以下の代表チームと対戦した際に著者が経験した「狩るディフェンス」だ。わざと走り頃のスペースを空けて走りこませ、挟み撃ちにするのだ。ニュージーランドのラグビーの中でその技が伝統として継承されているという。メンバーの入れ替わる代表というチームで、阿吽の呼吸が必要なこういうプレーがどのように伝承されているのか。イメージなのか感覚や経験知なのか。ここにコツやカンとは何か、どう伝えるかというヒントがあるように思う。とても興味深いテーマに挑んでいる平尾氏の続編を期待したい。
(尾原 陽介)
出版元:ミシマ社
(掲載日:2015-04-10)
タグ:身体感覚 ラグビー 教育 コツ カン
カテゴリ 身体
CiNii Booksで検索:近くて遠いこの身体
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:
近くて遠いこの身体
e-hon
コツとカンの運動学 わざを身につける実践
日本スポーツ運動学会
個人に合わせた指導
アスレティックリハビリテーションとは、アスレティックトレーナー業務のひとつだ。アスリハと略して呼ばれることが多い。日本スポーツ協会の公認テキストによれば、日常生活レベル復帰を基準とするメディカルリハビリテーションを引き継ぐ形で、競技復帰までを目標とする過程として表現されている。しかし実際は、リハビリ初期から患部外のトレーニングや全身持久力トレーニングなどを組み合わせたアスリート向けのプログラムとなる。
競技復帰には体力因子や全身を協調させて体現する「わざ」の再獲得が必要だ。傷害の発生機序や発生要因を克服しながら、「わざ」の 「コツ」や「カン」を取り戻し発展させる必要がある。リハビリ開始時からこれを加味したプログラムであるべきで、個々のメニューはそれぞれの要素に分断されたものではなく互いに協調すべく全身の動きをイメージしてデザインされるべきである。そして、たとえ蓄積された知見に基づくプロトコルでも、対象となるアスリートによって指導の方法は全て異なるものになるはずだ。その道のりは、指導というよりむしろトレーナーとアスリートが協調し共感しながら進めるべき協働という方が正しいように思う。
実践のヒント
さて、日本スポーツ運動学会による『コツとカンの運動学』のサブタイトルは「わざを身につける実践」とある。子ども達の発達過程において「動きのわざ」をいかに育てていくのかを主軸として様々な知見が語られている。「わざ」は単に「動き」ということではなく、移り変わる状況に応じて「コツ」と「カン」を働かせて、最善の「動き」をするということだ。それを自分が「身体で覚える」だけでなく、それを学習者にいかに指導するかという実践のヒントが集約されている。だから、ここでいう「運動学」はキネマティクスとは一線を画している。キネマティクスを芯に、心理、言語、感覚、人間関係や環境整備といった様々な因子で包み込んで作られた領域と言うほうがいい。
日本スポーツ協会が推進するアクティブチャイルドプログラム(ACP)でも「動きの質」に注目するよう働きかけている。ACP とは「子どもが発達段階に応じて身につけておくことが望ましい動きを習得する運動プログラム」だ。ただ、どれだけいいプログラムでも、その「動きの質」向上のためには指導者の力量が問われる。個人差の大きい子ども達の指導では、画一的な指導は効果のばらつきを大きくするだろう。
学生に悩んでもらう
本書で説かれる「学習者の動き方を自らの体で感じ取りながら、わざの動感世界を共有する運動共感能力」や「指導者が自分の動きを詳細に分析してその動きが実際にできるようになるために、指導者が学習者に対して学習者自身の動きの感じに問いかけていくという借問」などの重要性は、アスリハの過程に通じると感じる。現場のトレーナーとして経験を積んだ人達はこの辺りのスキルは自然に練り込まれているだろう。負傷したアスリートの状態を的確に把握し、様々な視点から観える問題点を、当人とのコミュニケーションの中で修正しながら、段階的に進めていくことができるはずだ。
ところがアスレティックトレーナーを目指す学生達には、まだこの感覚をイメージしにくい者が散見される。そういった学生は、正解を欲しがる傾向にあるようにも思う。この場合はどうすればいいのか、マニュアルとしての答えが欲しいのだ。
模範解答としてのプロトコルを示してやればいいのかもしれないが、私の場合はヒントを小出しにしながら悩んでもらう方法を取っている。解剖学や傷害、評価法、そしてアスリハの基礎理論をもとに、対象となるアスリートのことを多角的に想像し、互いに協力して問題を解決すべく創造力を最大限に働かせることに取り組んでもらうのだ。そのためにはアスリハの勉強をしているだけでは足りない。JSPO-ATの実技試験対策でも、過去問題を紐解いてこの設問が出ればこのプログラムを覚えておいて指導せよといった方法では問題だと個人的には考えている。たとえ試験であっても、目の前にいるアスリート(モデル)に最大限の効果が出るようにカスタマイズされたものを即座に提案し、指導というより双方向の協働にできることを目指して欲しい。本書もきっといい参考書籍になるはずだ。
(山根 太治)
出版元:大修館書店
(掲載日:2021-03-10)
タグ:カン コツ
カテゴリ スポーツ医科学
CiNii Booksで検索:コツとカンの運動学 わざを身につける実践
紀伊國屋書店ウェブストアで検索:
コツとカンの運動学 わざを身につける実践
e-hon