人体 失敗の進化史
遠藤 秀紀
獣医学博士、獣医師である遠藤氏は、遺体を文化の礎として保存すべく「遺体科学」を提唱、遺体を知の宝庫と捉え、これまでも数々の著書を出版している。本書では、これまで解剖に携わった数々の動物の遺体から得た知識を基に、人間の身体について考察している。
人間の進化としてはよく二足歩行が取り上げられる。手に自由を与えたことにより脳を発達さえ、言語をも獲得したわけだが、「新しい身体は祖先を設計変更することでしか、生まれてこない。それが地球上で進化を繰り返していく生物たちの、逃れられない運命なのだ」と遠藤氏は記す。先祖となる生き物の身体の設計図が原点になっているからこそ、異なる進化をたどった鳥類や魚類などの身体の設計図を知ることは、ヒトがなぜ今のように進化したのかを知るうえで多くの情報をもたらしてくれるわけである。
では、私たちヒトとは、地球の生き物として、一体何をしでかした存在なのか。本書でも自問しているこの問いに対して、遠藤氏はヒトを前代未聞の改造品と位置づけ、“行き詰った失敗作”と結論づける。そこに至る経緯については本書を一読いただきたいが、読み進めると「そうなのかもしれない」と思わず感じてしまう。
2006年6月20日刊
(長谷川 智憲)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:進化 身体
カテゴリ 身体
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「退化」の進化学
犬塚 則久
副題は「ヒトに残る進化の足跡」。ヒトは進化しているのか、それとも退化しているのか。この問題を本書ではヒトと動物の各器官で比較しその変遷にもふれていく。人類の起源は霊長類、哺乳類、脊椎動物の共通先祖、そして無脊椎動物から単細胞生物、ついには原核生物にまでさかのぼることができる。終章ではヒトのからだに見られる退化器官や痕跡器官を、4億年前から現代に至るまで順に並べているが、いろんな機能がこれまで消えて、生まれていることがわかる。ヒトのからだは生きるために進化していると言ってもよい。捉え方によってはそれを退化と呼ぶこともあるかもしれない。だが本書は哲学本ではなく、何が進化で退化なのかを比較解剖学や形質人類学、人間生物学など多くの資料に基づいており、まさにからだは生命の産物なのだと実感を持たせてくれる一冊になっている。
2006年12月20日刊
(三橋 智広)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-11)
タグ:進化 身体
カテゴリ 身体
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迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか
Sharon Moalem Jonathan Prince 矢野 真千子
「この本に書かれているのは、謎と奇跡の話である。医学と伝説の話である」と意味深に始まる本書は、アルツハイマー病の遺伝的関係の新発見で知られるシャロン・モアレム氏と、クリントン元大統領のホワイトハウス上級顧問・スピーチライターのジョナサン・プリンス氏の著。とくに遺伝子学的な知見に富んでいるので、世界中で知られる疫病の問題やアルコールの問題についても、遺伝子とどう関連をもっているのかについてなど大変興味深い内容である。
シャロン氏は祖父がアルツハイマー病と診断されたとき、アルツハイマーとヘモクロマトーシスの2つの病気には関連があるのではないかと考えた。まだ彼が15歳のときである。
そんな彼の小さなときからの取り組みがさまざまな問題意識を高め、大学院に進みアルツハイマー病を解明するに至った。だがその仮説を証明した後、祖父はアルツハイマー病と診断されてから5年後に亡くなる。
人のために科学があるのであって、それに尽力した科学者の“謎と奇跡”の本。ぜひ読んでいただきたい。
シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス著、訳・矢野真千子
2007年8月25日刊
(三橋 智広)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-10-12)
タグ:進化 病気 遺伝子
カテゴリ 身体
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強い者は生き残れない 環境から考える新しい進化論
吉村 仁
本書は、環境という面から生物の進化について深く考察したものである。
環境の変化としては身体面や用具が大きく改善していき、ルールも頻繁に変わっていくという現状がある。これは、生物にとって常に変化しつづける環境への適応と似通った方向性が、各チームや個人に求められるということでもあるだろう。すなわち、生き残るのは強い者、つまりその時点での環境に完全に適応した者ではない。真に生き残るのは、環境の変化にしなやかに対応できる者ということになる。ビジネス面での危機感を述べた経営者の言葉が紹介されているが、スポーツの世界においても、最も強いチームや個人が毎年勝ちつづけるというのは、なかなか難しい。進化学や生物学の分野の書籍ではあるが、ライバルに打ち勝とうと日々努力が重ねられているスポーツにおいてもヒントとなるだろう。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:新潮社
(掲載日:2010-03-10)
タグ:進化
カテゴリ その他
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「退化」の進化学
犬塚 則久
「人類は万物の霊長である」誰がそんなことを言い出したのか知りませんが、人類が他の動物よりも優れているのは人間の生活環境の中においてのみ通用すること。すべての動物は生活する環境に適合すべく、進化と退化を繰り返してきました。それぞれの動物が自らのおかれた環境で有利に過ごし、子孫を残していくという点では、今生きている動物は皆優れていると言わざるをえません。
本書は人類が今の姿に至るまでのプロセスを4億年前に遡り、どういう部位がどのように変化していったかを細かく説明します。「人類の履歴書」とでもいうべき変遷には現在においての謎が隠されているようです。現代において機能を喪失してもなお残る痕跡器官(男性の乳首など)や、作用が残り大きさが縮小した退化器官(親知らずや足の小指など)を変化した理由とともに数多く紹介されています。「人は元々二枚舌だった」とか興味深い「過去」があったり、数十年前まで退化したものと思われていた盲腸や虫垂もしっかりと働いていたという事実も近年明らかになったそうです。
「退化」という言葉のイメージは後退するというネガティブなものでしたが、環境の変化に対応した「進化」の一形態であることが納得できました。無駄なものを捨てコンパクトな姿で過ごすことが将来を生き延びるための自然の摂理に適合した知恵であり、「退化」もまた重要な選択肢であると思うのです。「得る」ということと「捨てる」ということが同価値であると教わりました。
過去の変化の理由を知ることにより、未来の人類の変化に対しても予測を立てることができたり、不都合な変化に対する警鐘を鳴らすことも可能なんじゃないかと思うのです。われわれ自身の身体に対する「温故知新」を見たような気がします。
学問的な難しい本というよりも、知ると面白い豆知識がいっぱい詰まった一冊です。
(辻田 浩志)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-16)
タグ:進化 退化
カテゴリ 生命科学
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人体は進化を語る あなたのからだに刻まれた6億年の歴史
坂井 建雄
「自然に」という形容動詞は「ひとりでにそうなるさま」という意味もあり、「なんとなくそうなってしまった」というニュアンスを感じてしまいますが、本書を読んでいると「自然に」という言葉にまったく逆の印象が刻みこまれてしまいました。
自然に存在するものにはすべて何らかの必要性があり、そして地球上に生物が誕生して以来、常に目まぐるしい環境変化に対応すべく進化する、生物全体の生きようとする力を感じずにはいられません。だから「自然に」という言葉には「運命的に」という意味合いも含めるべきだと思ってしまうのです。
「胃は消化する器官ではなく食料を保存する器官」「頭蓋骨は元々鱗だった」とか、人類の進化のエピソードは下手なフィクションよりも面白く読めます。生物の進化というマクロ的観点からの切り口は、我々が知らなかった人の身体のプロフィールを紹介してくれます。
人体の不思議について書かれた本はたくさんあります。が、それらの多くは「今の人体」についての解説ですが、本書ではなぜそうなったのかという部分に重点が置かれているように感じました。いわば人の身体の歴史とでもいうべきものでもあり、その進化によりどういうメリットがあったのかについての解説には納得。なぜならばそれこそが人類が人類として生き残ってきた証なのですから…。
本書は単なる人間の進化を示したものではなく、哲学すら感じてしまうのです。
(辻田 浩志)
出版元:ニュートンプレス
(掲載日:2014-10-03)
タグ:進化 生命
カテゴリ 身体
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ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか
鈴森 康一
ユニークな本
冒頭に「生き物は、自然界で長い進化の歴史を経て生まれたもの、いわば『神様が設計したロボット』である」という言葉が書かれている。本書はロボットの設計者が、理詰めで考えに考えてたどり着いた結論に、生き物が先に到達していることに対する畏敬の念と、それを超えたいという野心とが入り混じった、非常にユニークな本である。私のような工学的知識の皆無な者にはよくわからない部分も多いが、そういうことを気にせずに楽しく読めた。
しかし私は、これには少し違和感を覚える。ダーウィンの進化論は「変化(進化)には目的も方向もない」ということを基本としている。そして、「生き物は枝分かれを繰り返すことで多様性を増してきた」と主張している。途絶えてしまった枝は二度と復活しないし、枝が後から交わることもない。しかし、ロボットは何かの目的のために設計されるものである。枝を分かれさせるのも交わらせるのも、途絶えた枝を復活させるのも人間の意図次第で可能だ。
そう、生き物は意図的にその形や機能を獲得したのではなく、今生きている種は、枝分かれを繰り返して今も途絶えていない種だというだけである。たとえそれらが理にかなっている形態や機能を持っていて、それを神様が設計したのだとしても、自分の設計したロボットが意図せずそれに似てしまったというのは、ロボット設計者の傲慢ではないだろうか。それは、自分たちが神様に近づいたと言っているのと同じだから。そのうち自分を創造主と錯覚してしまうのではないか、というとSF漫画の読み過ぎだろうか。
ロボットは、色々なタイプの試作品を作り、改良を加えたり、後戻りして設計しなおしたりして、より完璧を目指すことができる。一方、生き物も確かによくできている。しかし、理詰めで設計されているわけではない。手持ちの能力で何とか目の前の現実に対処してきた結果の産物である。生き物の機能や形態や行動が理にかなっているというのは、後づけの理屈なのではないだろうか。『PLUTO(プルートゥ)』という漫画をご存知だろうか。鉄腕アトム「地上最大のロボット」を浦沢直樹さんがリメイクしたものである。ロボットに「命」はあるのか。ロボットが感じる喜びや悲しみや怒りや憎しみといった「心」は本物だろうか。結局、ロボットと人間はどう違うのだろうか、という問いかけがドスンと伝わってくるすごい漫画である。
現実の世界では、ロボットはどこまで発達するのだろうか。従来のロボットのイメージは産業用ロボットのようにパワフル・頑丈・正確というものであった。しかし近年、生き物のように柔らかさを備えたロボットの研究開発が進んでいるらしい。スキッシュボットという大きさや形や柔らかさが自由に変わるロボットは、身体の形を自在に変えて狭い空間にも入り込んでいける。ドラえもんの手にそっくりなロボットアームは、相手の形に合わせて形を変えることでどんな形状のものでもつかむことができる。意外に感じるが、従来のロボットはドアノブを持ってドアを開けたり、ビーカーのような硬くて割れやすいものをつかむのが苦手であった。しかし、ロボットが柔らかさを獲得することでそれらが可能になる。さらに、多少の損傷なら壊れた組織を自分で修復してしまうようなロボットの実現の可能性も示唆されている。
こうなると、漫画や映画の世界が現実のものになるということも、全く否定できなくなりそうだ。人工知能が飛躍的に発達し、「心」が芽生えることも近い将来本当にあるかもしれない。
命は生き物にしかないか
本稿の構想を練っている時期に、私は身近な人を2人も亡くした。このことは、私に生命について考えるという機会を与えてくれた。
ロボットが生き物に近づけば、それを「命」と呼ぶようになるのだろうか。ロボットが稼動している状態を「生きている」というのだろうか。ロボットが修理不能となり廃棄せざるを得なくなったことを「死」と捉えるのだろうか。長年苦楽を共にしたマイカーを廃車にするときに泣いた、という話はよく聞くが、それとは違う次元でロボットにも「命」があると言えるのか。それとも、「命」とは生き物にしかないものなのだろうか。
生き物とロボットの違いってなんだろう。
(尾原 陽介)
出版元: 講談社
(掲載日:2012-12-10)
タグ:進化 形態
カテゴリ 身体
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働かないアリに意義がある 社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係
長谷川 英祐
働かないアリの存在意義
「働かないでお金儲けできるってよくないですか」。少し前に卒業した教え子が突然こんなことを言い出した。ビジネスで成功し、将来的に左うちわで過ごしたいというのではあれば、まあ面白いかと話を聞いた。どんな壮大なビジネスプランが飛び出してくるのかと思いきや、何のことはない。マルチ商法にはまってしまっただけだった。久方ぶりに文字通りの落胆というものを味わった。
さて本書の著者長谷川英祐氏は、アリやハチなど「真社会性生物」専門の進化生物学者である。読者はまずタイトルである「働かないアリに意義がある」を一見して、どう感じるだろう。よく働くものだけを取り出してコロニーをつくった場合と、働かないものだけでそうした場合とを比べると、双方とも「同じような労働頻度の分布を示す」という、いわゆる「2:8の法則」や「パレートの法則」と呼ばれるものを思い出すかもしれない。確かにある種のアリでは、それが真実として認められるそうだ。
では、なぜそうなるのだろう。働かないアリは本当に働きたくないから、楽をして生きていたいから働かないのか。巣に引きこもって外に出ようともしない彼らに一体どのような存在意義があるのか。本書で非常に興味深い説明がなされている。トレーニングに詳しい人には、運動生理学で学んだ「サイズの原理」がヒントになる。筋肉を筋線維のコロニーだと考えるとわかりやすいはずだ。
本書の読後は人間の個体もいわば60兆からなる細胞のコロニーだという感覚を新鮮に持つこともできる。個体の中に、生殖細胞を維持するための完全な社会を持つのだと。
アリとヒト、それぞれの社会
同じアリやハチでもその種類によって生態は異なり、全ての種にその法則が当てはまるわけではない。全てのコロニーメンバーが完全な遺伝的クローンとなる「クローン生殖」や、社会システムにただ乗りし、働かずに自分の子を生み続ける「フリーライダー」など、興味深いさまざまな「真社会性生物」の生態を、本書では生物学者のハードワークに舌を巻きながら楽しむことができる。著者が「人間から見ると信じられないような、他者を出し抜いて自らの利益を高めるような生態」と呼ぶ行動も、自分の遺伝子を残すための工夫だと思えば、まだ許されるようにも思えてくる。それより、お金のためにそのような行動に出ることのある人間のほうがアリには信じられないだろう。
ヒトは本来、過酷な環境を生き残り、自分の遺伝子を次世代に伝えるために働いたのだろう。より効率的かつ安全に生活するために群れをつくり、社会が生まれた。生物としては奇跡的な進化を遂げてきたヒトは、そこで膨大な付加価値を創造してきた。それらの価値の重要な尺度となる貨幣は、社会で生活するための必需品で、自分が分担している労働価値を他の価値に変換することができるツールでもある。しかし貨幣そのものが働く目的となり、貨幣が貨幣を生むような構図は、その是非はともかく、よほどの良心が存在しない限り、さまざまな問題をも生み出してしまう。
その卑小な例であるマルチ商法に没頭している元教え子は、フットサルやバスケットボールのスポーツイベントと称した集まりを企画し、自分に縁のある同窓生をかき集めている。彼らが信じる「素晴らしい考え」を多くの人に伝えたいと称してはいるが、将来自分が楽をするためのカモを身近なところで探しているわけだ。遺伝子を伝えるためにではなく、自分の金づるとなる子や孫をせっせと増やそうとしているその行動は、アリには到底理解できないだろう。「利他者」の顔をした「利己者」は、自分が本当に「利他者」と思い込んでいる分、性質が悪い。自分の考えに賛同してくれない人間は付き合う価値がないとたたき込まれているようなので、在校生や他の卒業生を守るための手を打ちながら、その本人とは一線を置き、指導者としての苦みをかみしめながら放置せざるを得ない。ただ、この本は読んでみてもらいたいとは思う。
(山根 太治)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2011-09-10)
タグ:進化生物学
カテゴリ その他
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