トップアスリートを創る 日本体育大学アスリートたちの軌跡
日本体育大学学友会運動部 宮村 淳
オリンピックなど、常に競技スポーツの第一線で活躍してきた日本体育大学のアスリートたち総勢21名にインタビューしてまとめた本。トップアスリート育成のためのノウハウ満載。指導者のみならず中・高校生にもお勧め。
A5判 250頁 2,500円+税
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:大修館書店
(掲載日:2002-04-10)
タグ:インタビュー 指導 選手育成
カテゴリ 指導
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指導者バカ
西村 卓二
この本の筆者西村卓二氏は、ご存知の方も多いとは思いますがアテネオリンピック卓球の女子ナショナルチーム監督をされていた方であります。卓球女子ナショナルチームの活躍は、先日のロンドンオリンピックの結果も見てとれるように輝かしいものであります。無論積み重ねが大きな飛躍につながったことは言うまでもありません。以前から関わってこられた筆者には、いろいろな苦労もあったと感じています。さらに筆者は女子指導の経験が多く、本格的に女子指導をし始めた私個人としても、共通する立場にある者として、難しい局面や悩みなども照らし合わせながら読むことができました。
本書はおおまかに「指導者哲学」「選手との関わりかた」「現場主義」「練習と試合とは」「叱る」「女性に教える」「ナショナルチームの経験」という7つの構成で展開され、「人を育てる」重要性を説いています。
筆者も指導者という立場から、まず指導者の必要なこととして、自分の立ち位置、育成しようとする心構え、つまり信念、哲学が必要と説いています。ごく当たり前のことかもしれませんが、本書にも「人間を作る」というフレーズがよくでてきますように、指導をする以前にふさわしい人間でなければならないということであります。私自身、指導者としての経験をそれなりに重ねた今、信念、哲学というものの必要性を痛感させられます。
加えて「女性を教える」という難しさの悩みは同感するものが多く、気づきをたくさん頂けました。そのひとつとして、物事の捉え方であります。男女に違いがあることを私自身も感じています。たとえばできないことを考える場合に「何ができない」「誰ができない」の違いが生じることは私の経験上も多かった事例であります。だからこそ叱り方ひとつも十分配慮しなければいけないことは実感もあり、ヒントも多く得られました。そのヒントとは「攻めの指導」と「待ちの指導」にあたります。言葉で気づかせたりするような攻めるということは比較的しやすい行為だと思います。しかし待つことは本当に難しいと思います。なぜなら物事に立ち向かわせる時間、つまり考える時間や体験させる時間を含めて待つことは指導者にとってハードルの高いことと思っています。待つという能力は、よき指導者として大きなウェイトを占めることは間違いないと確信しました。
そして競技者としての本当の強さとは、「技術」「鍛えられた心」を持ち合わせること。つまりその指導者は両者を与えられる人間かつ人間性を持ち得た人間でなければならないと考えます。それはいろいろな方向に「バカ」になれることであり、決してそのことしかできない「バカ」でない「指導者バカ」という存在にならなければと感じられた本であります。
(鳥居 義史)
出版元:日本経済新聞出版社
(掲載日:2013-10-28)
タグ:卓球 指導 育成
カテゴリ 指導
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一流を育てる
朝日新聞be編集部
いったい、人を育てるっていうのはどういうことだろう。そもそも人が人を育てることができるのだろうか?
指導者の端くれとしてそんなことを考えるときがある。もちろん、指導者次第で選手やチームは大きく変わるのは間違いない。しかし、指導者は決して自分が育てたから選手が強くなったなどとは思うべきではない。
言葉を変えて言えば、勝手に選手が育ったのである。そう思うべきであると私は思う。だから、こういうやり方をしたら一流選手を育てられるなんていうマニュアルはないのだと思う。あるとすれば、そこに本気で選手のことを考えている指導者がいて、そこに本当に強くなりたいと思っている選手がいる。それだけのことなのだ。
その数々の、現場での指導者と選手の試行錯誤を紹介してくれている。この本を読み改めて思う、「一流を育てる」ハウツーなどはないってことを。
(森下 茂)
出版元:晶文社
(掲載日:2013-12-18)
タグ:選手育成 指導
カテゴリ 指導
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「育て」の流儀 個性を磨き、大きく伸ばすコーチング
乾 眞寛
福岡大学サッカー部の監督である幹眞寛氏が、自身の指導概念について語った書籍である。
100人以上の選手や学生たちを指導するにあたって、監督でもあり一教員でもある乾氏が繰り返し伝えていることは、「個々の可能性を信じ、見つけ、伸ばすこと」であると私は思う。それは指導者のみではなく、選手や学生自身が強くそう思うことを非常に重要視している。そのために、指導者はチャンスを与えることもあれば厳しい言葉をかけるときもある。個々が持つ可能性に気づきを与え、それを伸ばそうとするセルフモチベーションに火をつける。
第7章「困難を突き抜けて手にする成長」の中では、「NEXT ONE」という言葉が出てくる。チャールズ・チャップリンの言葉から抜粋された、指導の際に乾氏が忘れずに掲げている言葉だ。過去よりも今、今よりも未来の自分を高め続ける努力、目標を実現する確固たる決意と信じる力の大切さが詰まっており、サッカーや人生そのものと向き合う学生たちと指導者である自分自身を鼓舞する一言ではないだろうか。
躍進のきっかけとなる言葉、エピソードが語られている本書は、指導者のみならず選手や学生、何かに取り組んでいる全ての人に勧めたい一冊である。
(椙村 蓮理)
出版元:スタジオタッククリエイティブ
(掲載日:2014-09-18)
タグ:サッカー 育成 コーチング
カテゴリ 指導
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松岡修造さんと考えてみた テニスへの本気
坂井 利彰
坂井氏自身、大学卒業後にプロ転向という道を歩み、現在は大学という場を活かした日本人プレイヤー育成に取り組む。
松岡修造氏との対談では、まず錦織圭選手は10代の時点で特別であり「生まれてくるもの」、それをつくるのは難しいと口を揃える。だが、錦織選手ほどの圧倒的な才能がなくともステップを踏めば世界で戦えるという点でも一致する。実際、アメリカでも大学卒のプロ選手が増えているそうだ。
20歳前後は自分の限界が見え「心の密度が下がる」ときだという。そこで諦めず、夢見た世界へ羽ばたくためのバックアップが頼もしい。逆に言えば指導者やスタッフが本気であれば、有望な選手も育つに違いない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東邦出版
(掲載日:2016-02-10)
タグ:育成 テニス
カテゴリ 指導
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少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす
永井 洋一
(編集部注:この書評原稿では、上記『少年スポーツ ダメな大人が子供をつぶす』とともに、『ベストパフォーマンスを引き出す方法』室伏広治、咲花正弥、ベースボール・マガジン社が取り上げられている)
「体罰」に対する認識
スポーツ指導者と体罰についてどう考えるか、理想的な指導者とはどのような存在か、アスレティックトレーナーを目指す学生に問いかける。小さなクラス内でのグループディスカッションにもかかわらず、実際に体罰を受けたことがあるという数々のエピソードが語られる。そして、その多くが体罰を受けた側の受け取り方次第でそれが意味のあることだと考えている。自分が悪いことをしたから、失敗したから、そして強くなるためには、それは仕方のないことだと容認しているのだ。そう考える学生には「体罰」が悪質な「暴力」だという認識はない。
『少年スポーツダメな大人が子供をつぶす!』で著者の永井洋一氏は、本書が我が子にスポーツを体験してほしい親御さん、スポーツ指導者、スポーツファンに向けた提言書であるとしている。「スポーツとともに人生を歩み、現在もスポーツ指導者として現場に立ち、スポーツなしの人生は考えられない、スポーツを愛して止まない」からこそ、膿みきった病巣、とくにスポーツ現場に存在する暴力の問題を、指導者側の問題としてのみならず、親の問題、選手自身の問題、メディアの問題、スポーツ系部活動の仕組みの問題などさまざまな視点から論理的に掘り下げている。最終章では、学校スポーツ系活動の現場では、教育という理念を損なわず、競技の普及と競技力向上を同時に推進することは不可能だと断じている。
答えはわかっているはず
一方『ベストパフォーマンスを引き出す方法』では、日本を代表するアスリートである室伏広治氏と彼をサポートするチームコウジのコンディショニングコーチである咲花正弥氏が、それぞれの立場からさまざまな提言を行っている。内容は基本的なことで、日本体育協会スポーツ指導者共通テキストに含まれているようなことである。これは決して批判ではない。世界レベルのトップアスリートであっても、基本的なことから真摯に取り組むことが重要だと再確認できるからだ。「選手たちが自発的に、意欲的に取りくむようになるのを促すことは指導者の仕事のひとつであり、腕の見せ所」「言われたからやるのではなく、楽しい、面白いと感じて意欲的に取り組まない限り、長続きはしない」「成長期の真っただ中にある選手の場合、何をすべきかは難しいところ。その点は指導者の知識が重要であり、腕の見せ所となる」「与えられたことをただこなすだけでは、究極を目指すことはできない」「必要な時に必要な栄養を与えることが大切」「日本の子どもたちを見ていると、指導者に対してどこか萎縮している印象を受ける」「叱られまいと指導者の目を気にしながら、失敗しないように無難なプレーをするようになる」「いいことは褒め、悪いことは指摘する」「大事なのは、成功し続けることではなく、失敗に終わったときにどうするか」「やるべき時期にやるべきことをやらないのは本当の失敗」「チャレンジせず失敗することは、本当の失敗」「自主性を持たせたトレーニングで、自ら壁を乗り越えようとさせる」「成長していくことが楽しい、競技が面白いと感じる気持ちを植えつける」以上本書から抜粋した両氏の言葉の数々は、スポーツに関わる人間にとって金科玉条とも言えることばかりである。スポーツ界がどうあるべきか、皆答えはわかっているはずなのだ。
こんな当たり前のことを当たり前に行うことがどれだけ難しいのか、みんな普通に考えればわかるはずのことが、どれだけないがしろにされているのかは、『少年スポーツダメな大人が子供をつぶす!』で永井氏が論じる内容が非常に説得力を持つことでもわかる。その通りと膝を打つことがほとんどである。ただ、この本だけを読んでいたらどうしても違和感が拭いきれない。
取り組みに光を
冒頭で取り上げたグループディスカッションに参加したある学生は、中学校で体罰を受けて苦しんだが、高校の部活では人間性を磨くことを顧問の先生から学び、救われたと言う。学校生活の中で部活動の場を、絶好の教育環境として真摯に取り組んでいる例は、そしてそれが競技力向上をも伴っている例は本当にないのだろうか。
スポーツという題材を、教育者としての自らの役割をより効果的に遂行し、自らをも高める機会にしている指導者は少なからず存在するのではないか。スポーツジャーナリストとしての著作であるならば、自身の取り組みも含めたそのような人の活動も同書で対比して取り上げ、もっと光を当てるべきではないだろうか。部活を排除し、クラブスポーツが主体になったとしても、愚かな指導者はそう簡単に消えてなくならないように思う。だからこそ、真っ当に取り組む人たちをもっと取り上げるべきではないのか。それが私にとっての違和感の正体だ。
少年スポーツの問題は暴力や指導法の話だけではない。たとえば高校ラグビーを見ても、トッププレイヤーは忙しすぎる。公式戦、練習試合、代表招集、遠征、合宿などが、休みのほとんどない日々の練習の合間に繰り返される。どれだけ考えられた練習内容でもケガのリスクは上がり、選手は疲弊する。
実際に高校生で膝ACL再建術や肩関節脱臼手術を受けている選手が少なからず存在する。また部活以外で自分を成長させる経験も著しく制限され、ラグビー選手としてのみならず、人として将来を見据えた育成になっているかはなはだ疑問だ。こんなシステムはつぶしてクラブスポーツ化し、シーズン制を導入する方がいいと考える。ただ、そんな現状の問題点をあげつらってそれをダメだと断ずるだけでなく、よりよい方法で取り組んでいるチームにスポットをあて、成功例をつくるべく悪戦苦闘している指導者を紹介してもいいではないか。そういった意味では『ベストパフォーマンスを引き出す方法』では、それでいいんだと希望と勇気を与えられるのである。
我がクラスのグループディスカッションでは最後に、体罰や無茶苦茶な指導をしている指導者の下でアスレティックトレーナーとして働くとしたらどうする、ということを考えてもらう。体罰を暴力だと認識した上で、選手にとって最善となる自らの具体的なアクションをひねり出してもらうのだ。唯一無比の模範解答などあるべくもないが、「長くスポーツを好きでいてくれるよう指導してほしい」というスポーツ関係者ならば当たり前に持つはずの気持ちを大切に、当たり前のことを当たり前にできるように、我々は取り組まなければならない。
(山根 太治)
出版元:朝日新聞出版
(掲載日:2014-01-10)
タグ:育成 指導
カテゴリ 指導
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日本人のテニスは25歳過ぎから一番強くなる
坂井 利彰
男子テニスと言えば錦織圭選手が浮かぶが、添田豪、伊藤竜馬選手もランキングトップ100入りを同時に果たした。100位以内への到達は松岡修造氏以来とのこと。著書は添田・伊藤選手のように21歳以上でトップ100入りした選手を「晩成型」と定義し、さまざまなデータを駆使しながら成功要因を分析した。錦織選手のような「早熟型」の選手相手には不利な点も併記した上で、じっくりと心身を鍛える選手育成を提言する。
どの競技でも日本では早期育成の面で世界に遅れをとっていると言われがちだが、大学スポーツというフィールドを逆に生かそうというアイディアだ。著者自身が大学庭球部監督ということもあるかもしれないが、各国の育成システムとも比較されており説得力がある。
何を目指し、どのように導いていくかを整理・発信することは、目標の現実化の後押しになると思わされる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東邦出版
(掲載日:2014-03-10)
タグ:テニス 育成
カテゴリ 指導
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カンプノウの灯火 メッシになれなかった少年たち
豊福 晋
原石の証明
“カンプノウ”とは、スペインの名門サッカーチーム FCバルセロナ(愛称バルサ)のホームスタジアムのことである。そして“メッシ”とは、リオネル・メッシ選手。バロンドール(欧州最優秀選手賞)を五度も獲得した、史上最高と謳われるバルサのスパースターである。そんなことは言われるまでもない、という方も多いと思う。それはそうだろう。サッカーはワールドカップのときくらいしか見ないという私でも名前を知っているくらいだから。
カンプノウでプレーするということは、バルサのトップチームの一員となることであり、サッカー少年たちの夢である。スペインではサッカーチームの下部組織をカンテラ(cantera)と呼ぶ。直訳すると石切り場。カンプノウへ辿り着くためには、その採石場で、自分がダイヤの原石であることを証明し続けなければならない。
バルサのカンテラは昔から数多くの素晴らしいサッカー選手を輩出していることで有名で、世界的に高い評価を得ているそうだ。バルサの特徴は、スカウティングに力を入れ、世界中から多くの才能ある選手を確保するとともに、育成した選手を積極的にトップチームに昇格させ、試合に起用することらしい。
しかし、ここで言う育成とは私たちがイメージするものとは大きく違うようだ。競争する環境を与え、そこから抜きん出た才能を持つ選手を選り分けていくというもので、当然、淘汰されていく者のほうが多い。
淘汰された者のその後
本書は一枚の古い写真から始まる。13歳のメッシ少年がチームメイトとともに写っている写真だ。メッシは1987年生まれ、13歳でバルサに入団したとのことなので、入団したての2000年ごろの写真だろう。筆者の頭にある思いがよぎる。メッシは大成功を収めたが、その他の少年たちは今どうなっているのだろう。彼らの現在地を知りたい。
メッシを超える少年と言われたディオン・メンディは田舎のボクシングジムでコーチをしている。カンテラでの過度なプレッシャーに押し潰されて鬱病にかかってしまったフェラン・ビラは、立ち直って、下部リーグでプレーしながら実家の肉屋で働いている。自然科学博物館の動物飼育員ロジェールと公立小学校の給食世話係ロベールの兄弟は、カタルーニャ独立運動に参加している。他にも電気工、下部チームの指導者、警察の特殊部隊、害虫駆除業者、ビールの営業など、実に様々な仕事に就いて、必死に自分の人生を生きている。
サッカー好きの少年の元に、ある日憧れのバルサのスカウトから「テストを受けてみないか?」と声がかかる。晴れてテストに合格し、意気揚々とカンテラに乗り込む。しかし現実は残酷だ。地元では敵なしでも、世界中から才能を持った少年が集まるバルサのカンテラでは普通の選手に過ぎないのだ。そこから、重圧に耐えて才能と努力と運でトップチームへの階段を上り続けなければならない。足踏みしたら最後、カンプノウへの道は閉ざされる。
バルサのカンテラの選手が、一部でプレーできるレベルになる確率は10%程度だそうだ。その中からキャリア後を保証できるほどの高給取りになれる選手はほんの一握りだ。
大人にできることは
マシア(選手寮)のカルラス・フォルゲーラ寮長は、長年にわたりクラブの少年たちに「人生はバルサでは終わらん」と教えてきた。この教えのおかげか、本書に登場するメッシの元チームメイトたちは皆、力強く前を向いて現実と戦っている。バルサに対する恨み言も(少なくとも本書の中では)言っていないし、かつてメッシとプレーしたことがある、ということにも誇りを持っていると語る。これはやはり、バルサの育成方法が優れているということなのだろうか。
子どもたちには「メッシのようになりたい」という夢は必要だ。そのほうが断然楽しい。一方で、本書では「誰もがメッシになれるわけじゃない」という言葉がたびたび出てくる。ディオンは言った。「それは辛い現実かもしれない。でもな、アミーゴ。だからこそ人生ってのはおもしれえんだ」
夢を諦めるなというのはたやすい。しかし、我々大人が子供たちにすべきことは、夢を追いかける姿を見守ると同時に、それが叶わなかったときに現実を受け入れられる人間になっているよう、教育することだ。
それにはまず、親や指導者が現実を直視しなければならない。
(尾原 陽介)
出版元:洋泉社
(掲載日:2017-04-10)
タグ:育成 サッカー
カテゴリ スポーツライティング
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