スポーツ少年のメンタルサポート 精神科医のカウンセリングノートから
永島 正紀
まず、著者は序章で自分の立ち位置をこう規定している。
「スポーツをすることそのものより、スポーツとの取り組み方により、さまざまな精神的問題や心理社会的問題が生まれることを示し、とくに現代の子どものスポーツのあり方や現状について精神科医の目を通して考えてみたいと思います」。
精神科医である著者が、少年スポーツの現場にいる指導者とは違った視点で、スポーツについて語っている。
現場の指導者やプレーヤーの家族の方々にもぜひ読んでいただきたい本である。おそらく、本書で語られていることにはなかなか同意しづらいという人も大勢いることと思う。とくに、勝ち負けの価値観については、そうだろう。だが、だからこそ読む価値もあるのだといえる。
スポーツは、そのとらえ方により、さまざまな顔を持つ。身体運動を通した人間教育、人と人とのコミュニケーション・ツール、健康・体力づくりの手段、レクリエーションの場、自己実現の舞台…。これらの共通項は「スポーツは遊び」だということである。「たかがスポーツ」なのである。プレーヤー本人も指導者も保護者も、それくらいのスタンスがちょうどいいんじゃないの、と著者は主張している。
本書を読んで、私のような一般社会人のボランティア指導者の役割について、ふと思ったことがあるそれは、「たかがスポーツ」という価値観を子どもたちに示すことではないだろうか、ということである。「スポーツができるからといって、それが何か世の中の役に立つのか?」。時にはそう言って、プレーヤーにスポーツとの関わり方について、疑問を抱かせることも必要かもしれない。子どもたちがさまざまな職種のコーチたちとの交流を通じて、多様な価値観に触れることにより、スポーツとの距離感や自分の立ち位置を確認するのだ。
数年前に90歳で他界した私の祖母の面白いエピソードがある。彼女がまだ働き盛りのころ、近所の高校の校庭で学生たちがバスケットボールをしているのを見て、こう言ったそうだ。「あんな穴のあいたカゴに何回球を入れたって、落ちるに決まってる。高校生にもなって、あの子ら大丈夫だろうか…」
スポーツなんて、所詮そんなもの。「たかがスポーツ」であり、「遊び」であり、「世の中の役に立たないこと」なのである。だからこそ、おもしろいのだ。だからこそ、熱く、真剣に、夢中になれるのだ。
(尾原 陽介)
出版元:講談社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:スポーツ精神医学 メンタル 部活動 ジュニア
カテゴリ メンタル
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スポーツ精神医学
日本スポーツ精神医学会
スポーツと精神医学。かつては関連づけて考えられることが少なかったように思う。しかし、本書においてはスポーツにおける精神医学という観点から、オーバートレーニング症候群やうつ、摂食障害などの競技を続ける中で起こる精神科領域の問題にスポットを当てている。これが「精神医学のスポーツへの応用」である。
一方で「スポーツの精神医学への応用」も提唱されている。精神疾患の治療にスポーツの側面を取り入れるというものであり、うつ病、統合失調症、睡眠障害における治療の一環としてスポーツを行っている例が多数紹介されている。ほかに精神障害者スポーツについて、また最近の研究手法についてなど、スポーツ精神医学のさまざまな分野を網羅している。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:診断と治療社
(掲載日:2009-11-10)
タグ:スポーツ精神医学
カテゴリ スポーツ医科学
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NHKテキスト 100分de名著 中井久夫スペシャル
斎藤 環
著者曰く、中井久夫の功績のひとつは、統合失調症の状態を過程と読み替え、回復の希望を見出したことにある。その「希望」は当時、閉鎖病棟の劣悪な治療環境に絶望しかけていた著者にも「処方」された、ともいう。
中井久夫が言ったことを復習すると、S親和者、心の生ぶ毛、普遍症候群に対する文化依存症候群や個人症候群、標準化志向型・近代医学型精神医学SMOPなどが特に印象に残っている。
S親和者は統合失調症的気質を持つひとのことをいう。その微かな兆候を読み取り、感じ取る能力は、時代や状況が異なれば、有益な能力であるという仮説を、中井久夫は提示した。そして誰もがなりうる可能性があり、まるで人類にとっての税のようなものだという。
この本で読むかぎりでは、当時、統合失調症(分裂病)は不可逆的に進行し心理的に荒廃してしまう、治らない病気としてとらえられていたようだ。そのようなスティグマを取り除くことに、中井久夫は尽力した。
中井久夫は、普遍や標準化などの医学モデルに異を唱える。精神科医にはどこか“まっとう”でない医療であるという意識があり、だからこそ、そういった医学的な診断法や体系化された方法論に固執する向きがあるという。しかし、それらの考え方は、正常に戻す、あるいは矯正する、という治療方針と結びつきやすいのではないだろうか。それは暴力的に映ることさえある。心の生ぶ毛を守り育て、やわらかく治す、医師に治せる患者は少ない、しかし看護できない患者はいない、いずれも中井久夫の箴言であるが、改めて治療とはなにか、と考えさせられる。
フロイトは、医者は患者の弁護士である、患者以外の何ものをも弁護してはならない、と言った。徹底的に寄り添うことで、つまり、そのひとの熟知者であるからこそできる治療がある。それが世界の様々な文化とコミュニティのなかで行われていることだ、と中井久夫はいう。著者曰く、中井久夫は一貫して自身の考え方を理論化し体系化することを嫌った。それが権力と結びつくことを懸念したからだ。そのかわり多くの断片的な箴言を残した。体系はしばしば視野を狭くするが、すぐれた箴言には発見的な作用がある。それを著者は、体系知にたいする箴言知、と表現する。
合気道の高位有段者でもある施術家の先生と、身体の使い方についてよく話す。しかしいつも話題になるのは、こうだ、とした瞬間に、いやそうではないという、禅問答のような事態になってしまうことのむつかしさだ。そのコツやカンについて、その先生によれば合気道という型を共有しているひとたちの間でも、感覚は全然違うのだという。体系化した途端に間違えること、言葉にした瞬間ズレていくこと。それってどうすればいいんだろう、といつも思う。
(塩﨑 由規)
出版元:NHK出版
(掲載日:2023-08-03)
タグ:精神医学
カテゴリ メンタル
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