「世界最速の男」をとらえろ! 進化する「スポーツ計時」の驚くべき世界
織田 一朗
スポーツの面白さとタイム
タイム計測についての背景や仕組みについての詳細な記述がとても面白い本である。ただ、著者は元セイコー社員の「時の研究家」であるせいなのだろうが、タイム計測に傾きすぎているという印象を受ける。
著者は「究極のスポーツ計時は、アスリートに格別の制約や負荷をかけることなく、ありのままの姿でスポーツに励む最高の状態を数値化することだ」と言い、未来のスポーツの可能性として、競技会に一度も出場したことのない「世界最速の男」が誕生するかもしれない、とも言っている。
確かに計時を主として考えれば、その通りかもしれない。だが、スポーツを主として考えれば、全く逆だ。ありのままではいられない格別の制約や負荷の中で、いかによい状態でプレーできるか、というのがスポーツの面白さなのではないか。だからこそ、陸上でも水泳でもスキーでも、選手が一堂に会して競技会を行うのであって、タイムの比較だけなら、大会を開かずとも世界ランキング表を作成するだけで済んでしまうだろう。タイムとは、順位を決定するための資料であり、時間と空間を越えて選手を比較するための指標でもあるが、それ以上にはなり得ないのではないか。
「記録なんて」
このことについて、興味深い文章が2つある。
まず、伊東浩司氏(100m日本記録保持者)が書いた『疾風になりたい「9秒台」に触れた男の伝言』(出版芸術社)の一節である。「私も世界ランキングの6位か7位に名を連ねたことがある。しかし、外国に行ったら、そんなものまったく話にならない。日本は高速トラックだし、風がいいと向こうの人は思っている。事実、10秒00のタイムも『どうせ日本で出したんだろう』と言われたことがあった。高野さん(高野進:東京世界陸上・バルセロナオリンピック400mファイナリスト)に『記録なんてクソ食らえだ』とさんざん言われていた。『記録を持っていても、勝てなかったら意味がない』と」タイムトライアルとレースとの違い、とでも言えばよいのか。
「俺の」記録
とはいえ、陸上や水泳選手にとって、タイムには格別の思い入れがあるのもまた事実である。2つ目は高校生の短距離走を題材にした小説『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子著・講談社)で、サッカー選手からスプリンターに転身した主人公の初レース後の気持ち。「43秒51、俺、この数字、忘れないかも。どうってことないタイムなんだろうけど、俺のもんだ…っていうか俺らのもんだ。(中略)陸上やってる奴が、なんであんなにタイムのことばっかり言うのか、少しだけ理解できたよ。名刺代わりとか看板とか思ってたけど、それだけじゃないね。出したタイムって、ほんとに“俺のもん”なんだよね。面白いや」
タイムと順位は、選手のレベルや目標によって、ウェイトの置き方は違う。自己ベストで優勝というのが最高なのだが、そううまくはいかない。ほとんどの選手が、たとえ予選落ちでも、せめて自己ベストをマークしたいと思ってレースに臨んでいるはずだ。
優勝は一握りの選手しか狙えないが、自己ベストは全ての選手が狙える。だからやはり、正確なタイム測定が不可欠であることは間違いない。本書には、正確なタイム測定の必要から計時装置が発達し、また、装置の発達により、競技運営も様変わりしていく様子が紹介されていてとても興味深い。
手軽な計時装置に期待
現場の指導者の希望としては、その技術を競技会だけでなくもっと広く、どこでもだれでも手軽に利用できるようにしてほしい。ピストルと光電管とストップウォッチを連動させた自動計時装置が市販されているが、なかなか手を出しにくい金額である。仮に購入できたとしても、機材の保管や運搬や設置の問題に加え、一人ずつしか測定できないのであれば、とてもじゃないが使えない。私が指導しているクラブでも時々タイムトライアルや記録会をするのだが、待ち時間ばかり多くなってしまうし、人手もかかるのであまり頻繁にできない。
小さな子どもたちを指導する上で重要なことは、いかに待ち時間をなくすか、である。普段は少ない待ち時間でタイムを意識できるようにいろいろ工夫しているのだが、もし、安価でコンパクトで設置も簡単という自動計時装置が市販されれば、指導方法にも大きな変革が起きるだろうと思う。「世界最速の男」の測定も結構だが、私はそちらのほうにも期待をしたい。
(尾原 陽介)
出版元:草思社
(掲載日:2014-04-10)
タグ:計時 タイム
カテゴリ スポーツ科学
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