健康とスポーツ
玉川大学教育学部
本書は、玉川大学の体育教員が授業で使用している資料をまとめ、一般教養としても役立つよう、テキストとして出版したものである。健康やスポーツに関して幅広い項目が採用されており、たとえばフィットネス、タバコや薬物乱用、筋生理学、トレーニング、スポーツ傷害と予防法、救急処置がある。それぞれ簡潔にわかりやすく説明している。玉川大学における体育教育の特徴としてデンマーク体操や体育祭なども取り上げられている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:玉川大学出版部
(掲載日:2010-12-10)
タグ:教科書 一般教養 体育 健康
カテゴリ スポーツ医科学
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健康とスポーツ
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体育とはなにか 改めて問う 体育の内容と本質
宮下 充正
東京大学での大学院時代から数えて、体育学に入って25年という著者が、海外研修を前にして、自分自身の反省材料としてそれまでの文章を書き改めながらまとめ直したものであり、「体育にこれからたずさわろうとする若い人びとに読まれ、新しい世紀での活躍に役立てば」という願いもあって刊行となった。
歯に衣着せぬ口調は深い洞察を感じさせ、読中・読後とも、改めて体育学とは何かを考えさせられる書で、体育に関わる人々にはぜひとも一読しておいていただきたいものである。
「(前略)すなわち、体育学は応用科学としてのその存在を世に示すことができるのである。それゆえ、私たちは、世間があっと驚くような新しい研究を追い求める必要はなく、着実に事実を積み重ねていくよう努力すべきではないかと、私は思っている」(第3章体育学はなにをしてきたのか、P55より)
「そこで私は次のようなことを提案したい。親と旅行する場合は、学校を休んでも欠席あつかいとしない、ということである。一週間分の学習予定を先生からもらって、それにしたがって親が教育の代替えをするという制度である」(第9章季節に感じる運動の必要性、P153より)
「それではスポーツ科学は万能か、科学だけで勝てるのだろうか。決してそんなことはないといえる。理屈はしょせん理屈であって、それ以上のものではない。私どもは基礎的な平均データを提供するが、それを生かすも殺すもコーチと選手しだいである」(第10章新しいスポーツ科学について、P185より)
日本の選手を強くしたい、勝たせたいという夢を抱く著者は、水泳を初めとし、各競技に熱心に取り組んできた。研究、実践を通じての明晰さに副題が光る書である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:大修館書店
(掲載日:1984-11-10)
タグ:体育
カテゴリ スポーツ医科学
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ひかる先生のやさしい体育 スポーツのコツを楽しく学ぼう
田中 光
スポーツの基本から始まり、そして鉄棒、とび箱、マット、なわとびといった基本的な運動、さらには水泳や球技、陸上まで、「コツ」のつかみ方についてわかりやすく説明している。イラストには、ポイントとなる動きが言葉で付加されている。身体軸を安定させ、バランスをとるための一連の動きが「カエル支持・カニ支持・サソリ支持」であり、鉄棒では「ふとんほし・だんごむし・ブタの丸焼き」などのネーミングがされ、子どもたちにも理解しやすい工夫が重ねられている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2007-12-10)
タグ:子ども コツ 体育
カテゴリ 指導
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中国スポーツマッサージと体育療法
駱 勤方 ベースボール・マガジン社
世界中には数多くの手技療法がありますが、人間の身体の仕組みは国々によって大きく異なるものではありません。目の付けどころというのは手技療法においてもある程度共通したものが多いというのが私の率直な印象です。ましてや歴史の古い手技になれば、エッセンスとなるものも長い歴史により精査されたものが残るのが必然だと思います。
理由づけや説明は異なったものであっても、実際に施術すべきポイントは洋の東西を問わないかもしれません。
中国スポーツマッサージの手法が紹介されていますが、特殊なものという印象はほとんどなくて、西洋のマッサージ技術と親和性が高く、誰にでも取り入れることが可能な方法ばかり。ツボという中国独特の概念がオリジナリティーを醸し出しますが、紹介されているテクニックは初心者でも使えそうなものになっています。
体育療法も中国風エクササイズと捉え気軽に取り入れやすいものばかり。ウォーミングアップやクールダウンに使えば、目先も変わって面白そうです。同じことばかりやってマンネリ気味なときに挑戦していただくと新鮮な気持ちで取り組めそうです。
イラスト入りの解説ですからとてもわかりやすいです。100ページ足らずですが重要なポイントは押さえられていると思います。トレーナーでも選手でも気軽にお読みいただけるでしょう。逆に体系的に勉強したいという方には不向きです。
(辻田 浩志)
出版元:ベースボール・マガジン社
(掲載日:2016-01-14)
タグ:中国 体育 マッサージ
カテゴリ スポーツ医科学
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寄りそ医 支えあう住民と医師の物語
中村 伸一
役に立つ機能から離れて
体育とは“体で育む”と読みたいものだと、しばしば本コラムでは述べてきた。体育の本質がそうあってほしいからである。“からだ”で表現し、“からだ”を見つめ、“からだの声”に耳を傾けるといった身体感覚に気づき、人と人との間に“体で”何かを“育む”ということは“体を育てる”こと以上に大切なことだという考えが頭に浮かぶ。いったい何を育むのだろう。それは“愛”であったり“信頼関係”であったり、要するに“絆”を互いの体を通して育むことだ。“からだ”をみつめるということは、“いのち”を見つめること通じることであると思うのだ。
そもそも人が体を動かすのは“心地いい”と感じる何かがそこにあるからだろう。その上に、たとえば競技での成功を目指したり、自己実現のため、健康増進・維持のため、あるいは美容ダイエット(減量)を決意してなどなど、さまざまな動機を乗せて運動やスポーツを実施している人が多いことと思う。そして、それらの運動を安全に、効果的に行うための役割を“体を育てる”体育は担っている。
このような“体を育てる”体育が重要であることは論を俟たないところであるが、この考え方に重きを置きすぎると、何らかの理由(高齢・病気・事故)で歩くことが困難になった人や、あるいは寝たきりになった人に対して“体育”は成り立たなくなってしまう。人の体力には限界があり、命にも限りがあるからだ。
いっそのこと、さまざまな“役に立つ機能”を取り払ってしまい、“心地いい”というエッセンスだけを“体育”の場に残してみると、マッサージをすることや、手を握ること、究極的には近くに身を寄せることだけでも互いの体から発せられる信号を感じ合い、その場に“体で育む”体育が成立するといえるのではないだろうか。
“寄りそう”医師
さて、本書「寄りそ医」である。私の勤める自治医科大学の卒業生、中村伸一の手になるものだ。本学は“医療の谷間に灯をともす”(校歌より)ため、へき地での医療や地域医療を支える目的で、1972年に開設された大学である。中村は、その12期生として卒業し、福井県の名田庄村(現おおい町名田庄地区)の診療所で一人常勤医師として、医師としてだけでなく包括的に村の医療を支え続けている「アンパンマン」である。
専門医が「さっそうと現れて難しい手術をこなす」「かっこいい外科医」のような「ウルトラマン」的存在だとすると、総合医は「人の暮らしに寄りそう地域医療者」であり「医療スタッフはもちろん、ジャムおじさんのような村長やカレーパンマンみたいにパンチの効いた社協局長、メロンパンナちゃんを思わせる看護師や保健師、介護職に支えられる、アンパンマン」的存在だ。しかし、「うまく連携することで両者の特性が、より活きる」ものなのである。
地域の診療所では、患者を「看取る」割合が都市部の病院に比べ高い。しかも「家逝き看取り」の割合が、この名田庄村では全国平均より圧倒的に高い。これは医師の力のみでなく、地域の福祉体制や、住民の意識などの条件がよほど揃わないと叶わないことである。医者が患者を診るという関係より、互いに“寄りそい””寄りそわれる”関係で日々の診療がなされていないと、こうはなりそうにない。
高齢者がガンなどの疾病や老衰により比較的静かに亡くなっていくとき、中村は医師として“医学”的手段を振り回すのでなく、“医療”者として(今は亡くなっている)患者とその家族に静かに“寄りそう”のである。家族もまた中村に“寄りそう”姿は、悲しくも崇高な場面である。
学生(医学部に限らない)という、生身の体を相手にする体育教師の仕事ってなんだろう。やはり“体で育む”体育の場をつくることがまず基本なのだと思う。そしてその基本を実践するためには、“寄りそう”ことがスタートであり、ゴールでもあるような気がしている今日この頃である。
(板井 美浩)
出版元:メディアファクトリー
(掲載日:2012-04-10)
タグ:体育 地域医療
カテゴリ 人生
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体育会力 自立した「個」を育てる
礒 繁雄
2種類の「好み」
“ポジティブな好みとネガティブな好みが人にはある”。こんな意味のことを言ったひとがいる。ポジティブな好みとは、“こういうものが好き”という能動的なもので、“今日はカレーが食べたいね”“うん!イイね!”という明るい感じ。対するネガティブのそれは“○○ではないもの”“嫌いなものを取り除いたもの”が好きといった否定的で受動的な志向から好みが形成されるタイプで、“何が食べたい?”と尋ねられたら“美味しいもの”などと抽象的な答え方をして相手を困惑させるイヤミなやつだ。困ったことに私はこちらの人間だった。
ところが、そういうのに限ってプライドだけは高いから人付き合いは大変だ。自分を肯定するために、まずは相手を否定する。だから、ひとの短所を探し出しては、アイツのここが嫌いあそこがダメと否定して自分を正当化しようとするのである。自分より才能があって能力の高い人を否定するほど快感を覚えるから、日本中の、世界中のスゴいやつら全てをドンドン、トコトン、完膚なきまでに否定していったら…アレッ?…誰も?…私も?…いなく?…なっちゃったぞ!
気づき
イヤなやつを抹消すれば有能な自分が残ると思って頑張ったのに、やっとの思いでみんな消したら私という存在も認識できなくなってしまった。世界中の人が皆消えてゼロになっちゃった。相手との対比の中でしか肯定できない自分は、否定すべき相手がなくなることで肯定したい自分すら否定してしまったのである。でも待てよ。ならば、逆に相手を肯定することから始めたらどうなる? 相手の良いところを見つけ、受け入れ、素直になって…おお!…いいぞ!…何だか私も肯定されているようだ。ゼロ(無)は裏返すと無限大とイコールだったのだ!ここにおいて、ネガティブを否定することがポジティブに成り得ることに初めて積極的に気がついた。つまり“悟り”だ。どこか違っているかもしれないが、つまりは、そういうことだ。
やれやれ。我ながら面倒くさい性質だが、そう気づいてからは色々な意味で生きるのが楽になった。油断すると今でも“ネガティブ魂”がアバレそうになるけどね。
ちゃんとしたスポーツ選手には“ポジティブ魂”優勢なひとが多いような気がする。物事をいちいちネガティブからポジティブに捉え直している暇などない。始めからポジティブに取り組んだ方が良いに決まっているからだ。当たり前か。
新しい体育会魂
さて「体育会力」。早稲田大学の競走部(=陸上部)監督、礒繁雄の手に成るものだ。礒は、「三大大学駅伝制覇」「関東インカレ」および「日本インカレ」総合優勝「つまり、学生陸上競技の主要大会の完全制覇」へと競走部を率いた名伯楽である。
平成生まれの「やさしい」気質をもった学生たちと、ポジティブな姿勢の礒が向き合い「学生スポーツの中から、世界で戦える個人が育つ」組織がつくる、新しい(あるいは、真の)体育会魂について語ったものだ。
礒は話術の名人だ。監督として「理論プラス経験タイプ」の冷静な分析眼と客観視でもって組み立てた緻密な論理を、湧き出る自信とともに“これでいいのだ”と言い切ってしまう。すると不思議なことに読み手は“ああ、ナットク!”と胸の内で手をたたいたりさせられているのである。損得や、誰かとの比較ではない“情熱”がベースとなった、自分の理想、自分の考えを、ただただ真摯に述べているからだと思う。
たとえば、「僕の役割は、学生たちがアスリートとして一番華々しく、一番輝いている時にスポーツをやめさせ社会へと送り出すことだと、はっきりと言うことができます」。また、「進学のために将来のためにスポーツをする、つまり日本社会の安定志向に学生を巻き込む危険をはらむ」現行の入試制度についての言及、あるいは「これからは『導かないで導く』ことを追求しようと考えて」いるのだという。“えっ?”という展開にも流石な解答が隠されている。太刀打ちできずとも、見習ってみたいものだと思った。
(板井 美浩)
出版元:主婦の友社
(掲載日:2014-02-10)
タグ:体育会 陸上競技
カテゴリ 指導
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スポーツ医学の立場からみた小学校の体育 100年耐用性のある運動器を育てるために
中嶋 寛之
タイトルの通り、本書は小学校で行われている体育をスポーツ医学という専門的な切り口からどうあるべきなのかを考察した内容となっております。そしてサブタイトルが「100年耐用性のある運動器を育てるために」とありますが、これこそが本書の裏テーマと申し上げていいでしょう。小学生と100歳を超える高齢者という時間軸においてもかけ離れた世代のつながりこそが、これからの時代を生きる我々が抱えるであろう重要な問題点であり、その問題点を解決すべきもっとも重要な時期が小学生の時代であるという指摘がなされています。
そう遠くない将来、平均寿命が100歳を超えると言われていますが、長寿という喜ばしいことである反面、100歳を超えたときの運動器がどのような状態であるかという切実な不安が浮かんできます。近年サルコペニア(筋肉減少症)やロコモティブシンドローム(運動機能障害による移動機能の低下)という問題が話題になっています。これらの中心的問題は、高齢者の運動能力の低下にあります。本書は高齢者固有の問題として捉えるのではなく、小学生の体育に問題解決の糸口を求めています。
高齢者が運動習慣を身につけることにより体力低下を少しでも防ぐという解決法も重要ではありますが、人生において身体能力を高められるのは成長期であり、その時期に「運動嫌い」や「体育嫌い」をなくすような体育授業をするという提案がなされています。一つ一つ理屈を考えてみれば小学校のおける体育教育の重要性は理解できるわけですが、現実問題として児童それぞれの運動能力の個人差はあり、苦手だから運動そのものが嫌いになるのは自然なこと。もっとも身体を動かすはずの小中学生のころに嫌いになった運動を大人になってやりたくなるというのは考えづらく、そのままの流れで大人になり高齢者になり100歳を超えたとしたら、その人たちの運動能力が快適な生活を実現させるに足りうるレベルを維持できるかを考えればかなり不安になってきます。
「鉄は熱いうちに打て」と言いますが、これから大きく成長しようとする子供時代に運動の必要性を理解してもらい、運動が楽しいものだと子供が感じられる体育教育をつくり出すことこそが100歳時代に必要なことだと説きます。
高齢になり運動能力が低下したり痛みを抱える中で運動をするのには、困難が付きまといます。むしろリスクを抑える対策は早いに越したことはありません。「体を育てる」と書いて「体育」というのは50年前も今も同じです。しかしながら平均寿命が70歳代から80歳代を超え、いずれは100歳を超えようとしている日本の将来。「体育」の重要性はさらに高まりそうです。これは私たち一人一人が将来直面する可能性のある問題であることを忘れてはいけません。
(辻田 浩志)
出版元:ナップ
(掲載日:2021-09-22)
タグ:体育 ロコモティブシンドローム
カテゴリ スポーツ医科学
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スポーツ医学の立場からみた小学校の体育 100年耐用性のある運動器を育てるために
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コツがつかめる! 体育ずかん
遠山 健太
棒やマット運動など体育で行う運動と新体力テストの項目を取り上げ、流れやポイント、正しく身につける練習方法を紹介する。手本の写真ももちろん子どもたちだ。巻末の表を用いて、新体力テストの結果から八角形の運動能力グラフをつくれるようになっている。また、サッカーなど各種目の特徴がゲームの「ジョブ」のような形で紹介されていて、その種目に必要な運動能力、自分に合った種目がわかる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ほるぷ出版
(掲載日:2021-05-10)
タグ:体育
カテゴリ 運動実践
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体育教師のための心理学
Y. ヴァンデン‐オウェール S. ビドル R. ザイラー F. バッカー M. デュラン Yves Vanden Auweele Stuart Biddle Roland Seiler Frank Bakker Marc Durand スポーツ社会心理学研究会
体育教師が身につけておきたい心理学的知識と実践へのガイドラインを紹介するとともに、子どもの体育・スポーツ活動の重要性やその実践におよぼす心理的要因の影響も解説。子どもの体育・スポーツ指導にかかわる方におすすめの一冊。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:大修館書店
(掲載日:2006-07-10)
タグ:体育 心理学 子ども
カテゴリ メンタル
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スポーツ医学の立場からみた小学校の体育 100年耐用性のある運動器を育てるために
中嶋 寛之
スポーツ整形外科のドクターとしてオリンピックの日本選手団本部やチームに帯同してきた中嶋氏。21世紀以降の超高齢社会において、中高年への運動指導は行われ始めているが、小学校の体育の時間をもっと活用すべきではないかと指摘する。東京オリンピック代表選手を追跡して筋・骨の持ち越し効果があるとわかったのはもちろん、運動器の疾患に苦しむ人を多く見てきた著者だからこそ、ベースとなる子ども時代が重要だというのは説得力がある。とはいえ専門的なことをしようというのではなく、まずは身体を動かすことを楽しみ、スポーツを好きになってもらおうという視点にハッとする。運動のしなさ過ぎはよくないが、し過ぎもよくない。そのために小学校の先生への講習にも触れており、次世代への温かな眼差しが感じられる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:ナップ
(掲載日:2017-10-10)
タグ:体育 ロコモティブシンドローム
カテゴリ スポーツ医科学
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