ナンバ健康法
金田 伸夫
日本古来からある、日本人の身体に合う運動方法、身体の使い方があるとしたら、一度実践してみる価値はあるのではないでしょうか?
昔の生活では、移動はほとんどが徒歩で、荷物を運ぶ飛脚では1日に300kmを走る人がいたそうです。フルマラソンで 42.195kmですからとんでもない数字です。
身体を動かすのには、ちょっとした意識とコツがいります。そのコツがつかめたとき、楽に身体が動かせるようになったり、気持ちよく身体が動かせるようになったり、競技者であればパフォーマンスが上がったりします。
現代で300kmを走るということはまずありませんが、通勤など日頃の生活で気持ちよく身体を動かせるようになったら…、肩コリや腰痛がなくなったら…、もっと競技パフォーマンスが上がったら…、本書はそんな身体の使い方ができる、古武術、ナンバについて書かれています。
(大洞 裕和)
出版元:三笠書房
(掲載日:2012-01-18)
タグ:古武術
カテゴリ トレーニング
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ナンバ健康法
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ナンバの身体論
矢野 龍彦 金田 伸夫 長谷川 智 古谷 一郎
ナンバという言葉から「古武術」を想像するのは容易であろう。しかしナンバとバスケットボールとなると少し想像しにくいかもしれない。
この本は、桐朋高校バスケットボール部のコーチらが武術研究家の甲野善紀氏の古武術の身体運用法をヒントに、ナンバを「難場」と解釈し、難場を切り抜けるための身体の動かし方を模索した内容である。ナンバという言葉の由来から、ナンバの動き、練習などがわかりやすく書かれている。そして実際に著者らはこの考え方をバスケットボールというスポーツの中に落とし込み、大会の成績をあげてしまったのである。
難場を乗り切るにはやはり無駄を省く必要がある。つまり効率よく動くには、そのための動きを身体で獲得していく、自分の“身体で感じる”ということが大切だということも印象に残る。
(大槻 清馨)
出版元:光文社
(掲載日:2012-02-15)
タグ:古武術 バスケットボール
カテゴリ トレーニング
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自分の頭と身体で考える
養老 孟司 甲野 善紀
99年に単行本として出版されたものの文庫。養老氏と甲野氏の対談は比較的多いが、解剖学者と武術家という対比から生まれる世界が面白いからだろう。
「体の各部分がなるべく細かに割れるようにして、その割れた身体をちょうど泳いでいる魚の群れが瞬時に全員が方向転換しているような感じで体じゆうを同時に使うんです」。抜刀術での甲野氏の説明である。従来の型にはまらない、自分なりに到達した境地を語っている。そしてその言葉を、養老氏は自分なりに理解し、解剖の分野から目と脳の働きと合わせながら説く。「同時並行でいくつかのものが動いているわけでしょ。それは目が一番得意にしていることなんですね」
養老氏はこうも言っている。「今、教育をしていて、僕も一番因るのは『先生、説明して下さい』という学生ですね。『説明して下さい』ということは、説明されればわかると思っているということですよ」。
説明と理解、その構図では言葉が神様である。身体、からだはどこにあるか。解剖学の身体、武術でのからだ。対談をきっかけに、自らの身体で考えていくのも面白そうだ。
(清家 輝文)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2002-12-15)
タグ:身体 解剖 武術
カテゴリ 身体
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ナンバの身体論
矢野 龍彦 金田 伸夫 長谷川 智 古谷 一郎
光文社から発行された『ナンバ走り』(矢野ら著)の続編にあたり、前著で紹介されたナンバ的な動きの解説書となる本。副題は「身体が喜ぶ動きを探求する」。この身体論は、ナンバを「難場」と解釈し、身体的に無理のない、より素早い、より自然な動きによって困難なシチュエーションを切り開こうという考え方で、武術研究家の甲野善紀氏が提唱する古武術の身体運用法がもとになっている。
桐朋高校バスケットボール部のコーチを務める著者4氏が言う「ナンバ」は、捻る、うねる、踏ん張るといった動作をできるだけ避けた、広く普及している西洋式の運動とは正反対の動きを指している。第3章「ナンバ的動きの練習法」、第4章「ナンバ歩き、ナンバ走りの練習法」では、写真つきで具体的な練習法が紹介されており、第6章「桐朋バスケットボール部の取り組み」では現場で実践されたナンバ的な動きの効果と課題が金田氏によって語られている。
あとがきには、「否定的な意味であれ、肯定的な意味であれ、すべての人にとって考えるヒントになれば幸いである」とある。普段と異なる発想でからだを動かし、本書でよく使われている「身体との対話」を行うことによって、新しい発見が得られるかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:光文社
(掲載日:2012-10-08)
タグ:ナンバ バスケットボール 古武術
カテゴリ 身体
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舞踊・武術・スポーツする身体を考える
中村 多仁子 三井 悦子
身体体験や感覚を言説化・言語化することの難しさは、スポーツに携わる者でなくとも日常生活の中でしばしば感じることである。病院で医師に症状を説明するとき、ブティックで服を試着したときetc…。だからこそ、擬音やボディーランゲージを多用した長嶋茂雄のバッティング指導などがユニークに紹介されたりもするのだろう。
本書はスポーツや舞踊、武術を主な素材に、それぞれのフィールドの専門家がそうした身体感覚の言語化を試み、語り合った14時間に及ぶディスカッションの様子を記録した一冊である。
とくに、女子体操で2度のオリンピックに出場、メダルも獲得しているだけでなく現在は地唄舞の名手としても名高い中村多仁子氏の数々のエピソードやそれに基づく発言は非常に興味深い。金メダリストのベラ・チャスラフスカも評価した、日本的で抽象化された動きの分節や表現、そのチャスラフスカなどとは対極にある「体操の技をする体型」につくり上げられたコルブトら東欧の選手の身体への違和感、そして地唄舞における所作や動作感覚といったものから世阿弥の『風姿花伝』の解釈に至るまで、難しい表現を用いることなく丁寧に解説、言語化してくれている。
素人に毛が生えた程度とは言え、舞踊やスポーツを学んだことのある身としてもそうした作業の難しさをしばしば感じていただけに大いに納得させられる表現が多かった。
また、冒頭から語られ、ディスカッションを通じてのキーワード、キータームともなっている「主体的に○○される」という一見矛盾しているかのような言葉も、スポーツや舞踊のみならず、時には生活全般においても当てはめることができる事象の捉え方として深く印象に残るものである。
いずれにせよ、スポーツ科学、とくにストレングス&コンディショニングやフィットネスと呼ばれる世界に身を置くわれわれ指導者にとって、数字や映像といったデータが重要な事は言うまでもないことだが、こうした「言語」もまた避けて通れない領域なのだと改めて考えさせられる一冊である。
(伊藤 謙治)
出版元:叢文社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:舞踊 武術 身体
カテゴリ 身体
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武術と医術 人を活かすメソッド
甲野 善紀 小池 弘人
とらわれない発想
私事だが、亡父の故郷に祖父が建てたという一家の墓がある。近くを流れる斐伊(ひい)川の上流だかで手に入れたという大きな楕円の墓石は、およそ一般的なそれに見えない。しかも「山根家之墓」ではなく「総霊」と刻まれているのだからなおさらである。手前味噌ながら、まだ父が小さなときに亡くなったその祖父のセンスが私は大好きである。「つまらない常識とかしきたりなんかどうでもいい。固いこと言わんと、入ってきたいモンはみんな入ってきたらいいのさ」というおおらかさが感じられるからだ。おおらかさの中にも俺はこうだよという自分の立ち位置を持っているところがなおいい。
いろいろと仕組みができ上がりすぎて、こうでなきゃならんという根拠に基づく常識とやらが跋扈し、どうにも型破りには生きにくいこのご時世である。そんな社会の恩恵をも感じる一方で、平々凡々たる我が身ながら人と違った自分の価値観を大切にしたいと感じるのはそんな血が関係しているのかもしれない。
新境地を切り拓く2人
さて、武術と医療と銘打たれた本書は、武術研究家である甲野善紀氏と、統合医療を推進する医師である小池弘人氏の対談録である。武術と医療の関係性を語っているのではなく、固定観念に囚われない柔軟な発想で新境地を切り拓く物事の捉え方、考え方を語り合った内容である。
冒頭で、甲野氏が自身で辿り着き磨いた技がスポーツ界になじまないことに疑問を呈す場面がある。その理由を、固定観念からの脱却を恐れ、伝統の縛りから抜け出せない指導者の不明と断じているが、このあたりには違和感を禁じ得ない。もちろんそんな側面があることも否定はしない。しかし、たとえば流れの中で多数対多数で戦うスポーツでは個々の技は活かしにくい上に、うまく工夫して取り入れようとしても単に他によりよい方法があるのかもしれない。スポーツの現場も常によりよくなろうとしているのだ。教条主義を否定しながらも、それゆえに教条主義の香りが漂う部分でもある。
己が信じる確固たる考えを持っている場合、その思いが強ければ強いほどそうなるのかもしれない。それが、わかりやすく整理された論理によって統合医療を説明しようとする小池氏によってごく自然に軌道修正される。
中盤から後半にかけては甲野氏の独創的な身体理論を基にした武術論や、その他の社会情勢に対する押し出しの強い持論と、懐の深い小池氏の「現代医療と相補代替医療の統合された医療体系」である統合医療の考え方が、相乗効果でうまくまとめられていく。対談の妙である。
覚悟が必要
「教条」から「折衷」へ、またこの先理想とする「多元」に流れをつなごうとする現代の統合医療は「患者さん中心の立場から、包括的・全体性を重視しつつ、個々の人にあった治療法ならびにセルフケアを自らが選択する医療」という側面も持つという。自分が鍼灸師であることも無関係ではないだろうが、この統合医療の考え方には共感する部分が多い。なによりこの医療は患者に甘えを許さない厳格なシステムだという見方もできる。自分の生き方、そして死に方に対して己自身の意志で覚悟を持って向き合うことにつながるのだ。これは周りの人たちとの横並びで納得できるものではないだろう。そして誇りを持って生き抜くためには、このことはそもそも避けては通れないことなのだ。
本書に哲学者西田幾多郎の「最も有力たる実在は種々の矛盾を最も能く調和統一したものである」という言葉が引用されている。調和統一できる位置は人によってさまざまだろうが、それぞれの立ち位置を尊重しつつ己のあり方を自在に定める。まさに生き方の問題である。それにしても、さまざまな社会問題に翻弄されてはいるが、このようなことを考えられる余地のある社会に生まれたことはなんと幸運なことか。
己を定める鍛錬
再び私事ながら、干支が4周りするこの年に先駆け、昨春から長男坊を出汁に空手を始めた。幼稚園児や小学生が中心の道場で白帯を締め、汗を流して1年余りが経った。形を覚えながらも形に囚われず、力みすぎる傾向にある我が身をいかにうまく使えるようになれるか探求の日々である。目標はあれこれ技を駆使できるようになることでなく、拳の一撃を、蹴りの一撃を、どれだけ強く速く打ち込めるようになるかである。それでいい。それがいい。こんな些事が、己の立ち位置を定め、日々の暮らしを覚悟あるものにする手助けとなる。
(山根 太治)
出版元:集英社
(掲載日:2013-09-10)
タグ:武術 統合医療
カテゴリ その他
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古武術「仙骨操法」のススメ
赤羽根 龍夫
西洋から発したスポーツは力を尊び、日本の武道は個々の筋肉の力にのみ頼るのではなく、効率的な身体の使い方で力を生み出す。武道などでは「極意」という言い方になるのかもしれませんが、本書は日本古来の身体の使い方を今風に解説したものです。
今やスポーツの世界もバイオメカニクスなどの研究が進んでいますので、筆者の思い描いているようなものとは少し違ってきているように思いますが、本書の特筆すべきポイントは言語化しづらく観念的であった「極意」というものを解剖生理学的な解説により具体性を持たせたところにあると思います。
本来は身体で覚えるべきものではありますが、正確な解説に沿えば遠回りしなくて済むかもしれません。
さらには身体の使い方に対する理解が深まることで、鍛えるべきポイントも見えてきそうな気がします。
個人的な感想ではありますが、「筋力」と「極意」は二律背反ではありません。近代スポーツでは様々な角度からのアプローチが試みられています。効率的に力を生み出す技術はその中核にもなりうる事項だと思いました。
(辻田 浩志)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2017-06-03)
タグ:古武術
カテゴリ 身体
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日本武道の武術性とは何か サピエンスと生き抜く力
志々田 文明 大保木 輝雄
武術は戦や狩猟の中から生まれたもので、戦の相手や動物を殺傷することを目的としていました。ところが徳川の安定した時代になると戦う機会もなく、一番必要とされた戦闘スキルも活躍の場を失います。軍隊でもあり兵士であったはずの武士も、その役割が政治であったり行政であったり仕事の内容も変わりました。そんな時代に武術に身が入るはずもなく、武術そのものの価値なり目的なりが見失われそうになりつつあるとき、新たな目的や価値観を見出し、戦闘の術から身心を鍛えるための武道へと変わっていくさまを学術的に記したのが本書です。
価値観はその時代で変わるものですが、ここ200年ほどで「人権」という概念が生まれ、人を殺傷する行為は、すなわち人権侵害であり「暴力」と呼ばれ社会的に嫌われる行為となりました。もちろん私たちの時代は生まれながらに人権を持っていますので、ある時代から「人権」や「暴力」という概念ができたというのは驚かされました。それ以前の時代背景では敵をやっつけて戦に勝つということは名誉なことであり、それが「暴力」と呼ばれ否定されるという逆転の時代の中でどうやって武術の生き残りをかけて新たな価値の創造をしていくかが1つのテーマとして書かれています。
戦うことこそが武術・武道の中心的要素なわけですから、精神的な修行とともに「武術性」にこだわるのはもう一つのテーマになっています。近代においてはスポーツとして存続している武道もありますが、「武術性」「精神修養」「怪我や事故を防ぐ」「暴力性の否定」などは今の時代も重要な問題点として議論されています。
時代時代の環境にアジャストしなければ生き延びることができないという点で、武道もまた生物同様の難しさがあることを教えられました。中には、消えていった武術もあるはずです。文化や芸能もまた然り。長い時代を生き続けるものもあれば、ひっそりと消えていくものもあったでしょう。本書の核になるのは「臨機応変」という姿勢だと感じました。変化することで生まれる問題点も上手く取り込んでいくたくましさと知恵こそが最も学ぶべきところでしょう。
(辻田 浩志)
出版元:青弓社
(掲載日:2021-01-21)
タグ:武術 武道
カテゴリ その他
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自分の頭と身体で考える
養老 孟司 甲野 善紀
解剖学の権威・養老氏と古武術を追求する甲野氏による「日本人の身体観」についての対談。話は「頭と身体で考える」というテーマから徐々に両氏の興味へ、そして日本社会の問題点へと逸れていくというバラエティに富んだ内容だ。自分の身体に問いかけてみると、意外なことが見えてくるかもしれない。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:PHP研究所
(掲載日:2000-02-10)
タグ:身体 解剖 古武術
カテゴリ 身体
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游心流武術(ビデオ)
長野 峻也
「游心流武術健身法」という活殺両面を体系化した武術の側面を紹介したビデオ。これまで、型稽古を主体とする中国武術、古武道、合気武道などの流儀は、常に“実用性”という疑問の目を向けられていたが、これを格闘技的な観点からではなく、武術的戦闘原理の観点から解析したという一巻。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:アートマン・プロジェクト
(掲載日:2001-12-10)
タグ:武術
カテゴリ その他
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古武術「仙骨操法」のススメ 速く、強く、美しく動ける!
赤羽根 龍夫
著者は新陰流、円明流といった古武術に通ずる。生死を分ける環境で研ぎ澄まされた全身の使い方を、上半身と下半身をつなぐ仙骨に着目して応用した。いずれの流派も古流剣術ということで、取り上げられている「廻し打ち」「切り上げ」ともに木刀を用いており取っつきにくいかもしれないが、姿勢や関節の使い方はさまざまなスポーツ、日常動作に通ずる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2016-10-10)
タグ:古武術
カテゴリ 身体
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