町人学者
増田 美香子
副題は「産学連携の祖 淺田常三郎評伝」。大阪大学理学部物理学科の教授、淺田常三郎氏について、その門下に学んだ人が「人となり」を記したもの。
淺田教授は、大阪府堺市に生まれ、きわめて優秀で、旧制中学5年のところを4年で卒業、難関の第三高等学校にトップで合格、その後東京帝国大学理学部物理学科に入学、実験物理学を専攻した。
大阪帝国大学を創立するとき、先生である長岡半太郎が総長になる。そのとき、淺田氏も物理学の教授として阪大に移っている。その講義は大阪弁、正確には堺弁であった。講義の第一声はこんなふうだった。
「一銭銅貨を置きましてな、かかとで踏んでキリーッとまいまんねん(回るのです)」。
「すと、こないなりまんねん」
二枚の銅貨の間には模造品のルビーがあったが、粉々になる。次に天然のルビーで同じようにすると銅のほうがへこんだ。
「それ、なんでだんねん?」が口癖だったとも言う。その淺田氏は、常に人々の役に立つ研究を心がけた。当時大学教授は雲の上のような存在だったが、えらそぶるようなことは決してなかった。むしろ、ユーモアにあふれ、面倒見のよい教授として慕われた。
広島に投下された新型爆弾が原子爆弾だと科学的に確認した人でもある。多数の逸材を輩出した淺田研究室。その教授の姿を知ると、学問のあり方、研究者のあり方、人を育てるということなどを味わい深く学ぶことができる。
2008年4月4日刊
(清家 輝文)
出版元:毎日新聞社
(掲載日:2012-10-13)
タグ:研究
カテゴリ 人生
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スポーツ生活圏構想
電通総研スポーツ文化研究チーム 加藤 久
スポーツを24の指標から分析し、さらに都道府県別で総合順位を算出している。ここでいうスポーツは、運動競技を差しているわけではなく、いかに一般の方々が運動に興味があるか。その場所は、かける費用は、機会はということがデータとして分析されている。
出版は一昔前だが、その提案の中には、現在でも問題とされていることもある。たとえば「する」と「見る」をいかに近づけるか。各競技の普及においても頭を悩ませる問題である。
(澤野 博)
出版元:厚有出版
(掲載日:2012-10-13)
タグ:調査研究
カテゴリ その他
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動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
福岡 伸一
体力があるのはよいこと?
私の大学では、新入生を対象に体力測定を行うことを毎年の恒例としている。全国平均と比較した結果表を渡した後に感想を聞くと、判で押したような内容ばかりで笑ってしまうことがある。たとえば“浪人したけど体力あんまり落ちていなくてホッとしました(笑)”、“受験勉強で体力が落ちて悲しい。もうトシです(泣)”といった具合だ。
体力があるのは“よいこと”、ないのは“劣っている”こと“悪い”ことだというように、小さい頃から刷り込まれてきた結果このような感想を漏らすのではないか。極端な言い方をすると、体育の授業はただ単に身体が丈夫になるためにあるとか、自分はスポーツが得意だから優れているのだという解釈をしている部分もあるように思う。
“体育”とは、“体を育む”でもよいが、“体で育む”と読みたいものだと私は考えている。確かに体力があったり、運動能力に優れていることは日常生活を送る上で便利かもしれない。しかし、運動することに限らず、何かに触れたり、互いに触れ合ったりという身体感覚や体性感覚でもって感動し、身体を通して命を見つめ育む、そういう行為こそが“体育”であってほしいと願っている。 いずれ医師となったとき彼らが向かい合うのは、何らかの理由により心身に不具合を感じている患者や老人である。そういう人たちを相手に、正義の味方(=強者)の理論に陥って高飛車な診療態度をとったりすることなく、同じ目線で、共感できる姿勢を今のうちに身につけておいてほしいのだ。
生命とは動的な平衡状態
さて、本書の著者・福岡伸一は、分子生物学を専門とする生物学者で、かのベストセラー『生物と無生物のあいだ』の著者でもある。一貫するテーマは、さまざまな角度から「生命現象」つまり「生きていること」を見つめ、命について考察を深めているところにある。
表題の「動的平衡」とは「生命、自然、環境―そこで生起する、すべての現象の核心を解くキーワード」である。「生きている」ことすなわち「生命とは」「動的な平衡状態に」あり、そして「それは可変的でサスティナブルを特徴とする」システムなのである。「サスティナブル」なものは「一輪車に乗ってバランスを保つときのように、むしろ小刻みに動いているからこそ、平衡を維持できる」のであって「動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている」からこそ「環境の変化に対応でき、また自分の傷を癒すことができる」。決して「何かを物質的・制度的に保存したり、死守したりすることではない」のである。そこには身体の大小、あるいは強者と弱者などといった区別は一切ないのである。
粘土に触れた感動
閑話休題。1年生を対象に“芸術と医療”という講義を担当してくださっている林香君先生(はやしかく:陶芸家、文星芸術大学教授)にうかがった話。
10年ほど前、重度の知的障害を持った子どもたちの施設で陶芸体験をしたところ、一人の少女がロクロに乗った粘土に手を触れたとたん、グッと手と粘土を見つめ幸せそうな顔になり嬉々として粘土をこねていたという場面を経験したことがあるのだそうだ。視覚と触覚が一致して動作に現れるということは、この少女のような場合には稀なことらしく、粘土に手を触れることで彼女の体に大きな感動が走ったからだろうと施設の先生が大変喜んでくれたという。林先生も驚きを隠せず、この経験がもととなって粘土が持つ未知の力を医療の場に展開する試みを続けているとのことである。
ひるがえって、私たち体育を生業とする者はどうだろう。歩けなくなったらオレはもう終わりだ、なんて思っていないだろうか。“Sports for All”ということを頭ではわかっていても、“この人たちにはあてはまらない”と、どこかに線を引いてはいないだろうか。飛んだり跳ねたり走ったり、汗をかくような激しさはなくとも、そこに“生きている”事実があれば、十分に“体育”は成立する。このようなことを原点に据えたほうが“体育”の可能性がさらに広がるように思えるのだがいかがだろう?
(板井 美浩)
出版元:木楽舎
(掲載日:2010-08-10)
タグ:研究
カテゴリ 生命科学
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ヘンな論文
サンキュータツオ
研究、研究者への愛
著者はお笑い芸人でありながら大学の非常勤講師も務め、さらにはアニメオタクでもある。そんな著者の趣味の一つである珍論文コレクションの中から、13本の論文を紹介しているのだが、本書の目的は内容について言及することではない。学問とは、研究とは、いかなるものなのかについて熱く語るための本である。本書全体から学問や研究、またそれに情熱を傾ける研究者への愛が感じられる。
タイトルの「ヘン」以外にも、「ヒマなのか?」とか「どうでもいいことすぎる!」というような、どちらかというと失礼な部類の言葉を芸人さんらしい軽妙な文章に織り交ぜているのだが、それが全然不快ではないのは、愛情を感じるからである。
学者とは
学問とは「問いに学ぶ」ことである。だから、「問いをたてる」ことがまず大切だ。それが役に立とうが立つまいが。「やりたいこと」「知りたいこと」がまずあって、それにもっともらしい理由を後付けするなんとも愛らしい人種、それが学者である。
本書で紹介されている論文はどれも面白そうだが、中でも僕が好きなのは「『コーヒーカップ』の音の科学」である。「コーヒーカップにインスタントコーヒーの粉末を入れ、お湯を入れてスプーンでかき混ぜると、スプーンとコップのぶつかる音が、徐々に高くなっていく」ことに気付いた女子高校生と物理の先生がその謎を究明していくのである。
まず、音が高くなっているのは気のせいでは? という当然の疑問に対し、何をしたかというと、コーヒーカップとスプーンの接触音を録音してパソコンに取り込み、その周波数特性を測定したのである。その結果、気のせいではなく本当に音が高くなっていることが確認されたのである。また、それはインスタントコーヒーは関係なくカップがお湯で温められたことが原因では? という可能性もきちんと実験により、そうではないことを実証している。
そこから研究を進め、様々なものをひたすらコーヒーカップに入れスプーンでかき混ぜ、ついにあることをつきとめるのだ。詳しい内容は本書を読んでいただきたいが、私が魅かれたのは、立てた問いに対し愚直に向き合う、その清々しいまでの姿勢である。考えられる可能性を一つ一つ丁寧に検証してゆき、結論にたどり着く。それが「だから何?」と言われそうなことであろうと何だろうと、お構いなしに。
研究の面白さ
著者は言う。「美しい夕景を見たとき、それを絵に描く人もいれば、文章に書く人もいるし、歌で感動を表現する人がいる。しかし、そういう人たちのなかに、その景色の美しさの理由を知りたくて、色素を解析したり構図の配置を計算したり、空気と気温を計る人がいる。それが研究する、ということである。だから、研究論文は、絵画や作家や歌手と並列の、アウトプットされた『表現』でもある」
先ほどのコーヒーカップの音の研究も、それがわかったからと言って世の中が変わるものではない。だがそれを、不思議だと思うことを解き明かしてみたいという純粋な気持ちの表現だとすれば、これほど楽しい読み物はないとも言える。
自分のことを振り返ってみると、論文といわれるものを書いたのは大学の卒業論文だけである。しかし確かに、そのときは楽しかったと思う。先行研究や本を読み漁り、実験をし、考え、の繰り返し。そこで味わった楽しさは、その後の自分のベースにもなっていると思う。
その途中こそが最も楽しいということを知ってしまったので、締切の迫っている仕事でも、あえてわき道にそれてしまったりして時間が足りなくなってしまうこともしばしばある。「問いに学ぶ」という姿勢は、人生を豊かにしてくれると思う。今後私が何かの論文を書くなんてことは、まずないだろうが、知りたいことにまっすぐ向き合うという楽しさは、論文を書かずとも味わえるはずだ。
「なに、この、人生アウェーな感じ!」といわれるような「ヘン」な人に、私もなりたい。
(尾原 陽介)
出版元:角川学芸出版
(掲載日:2015-12-10)
タグ:研究
カテゴリ その他
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研究者
有馬 朗人 松本 元 野依 良治 戸塚 洋二 榊 佳之 本庶 佑
成功するための“研究力”“独創力”を身につける方法について、第一線の研究者ら13名に聞いた内容が編まれている。成功する研究者に必要な資質、独創力を伸ばす方法、評価される研究者の条件などを収録。「ブレークスルーを生み出すカギはどこにあるか?」など研究者でなくても興味が湧く内容である。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:東京図書
(掲載日:2001-01-10)
タグ:研究
カテゴリ その他
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競技スポーツにおけるコーチング・トレーニングの将来展望 実践と研究の場における知と技の好循環を求めて
高松 薫 麻場 一徳 會田 宏 鈴木 康弘 寺本 祐治
現場/実践/技と研究/理論/知の好循環は、競技者・指導者としても、研究者としても実現したいところだ。本書はその橋渡しを目指し、編集委員代表の高松薫氏のゼミ出身者を中心に現場や研究で活躍する方々が筆を取った。とくに競技スポーツにおいては、「東京オリンピックに向けて」という大義がなくなった後のことも考えていかねばならないと説く。競技力向上のために各種目でどのような取り組みが行われているかを始め、組織の不祥事などスポーツ界を横断するトピックにも触れ、さらなる発展に向けた議論を促す。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:筑波大学出版会
(掲載日:2021-08-10)
タグ:コーチング 研究
カテゴリ 指導
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質的研究の考え方 研究方法論からSCATによる分析まで
大谷 尚
質的データ分析手法SCAT(Steps for Coding and Theorization)の考案者である著者による、質的研究の解説書である本書。もちろんSCATの解説や、用例なども記してある。
量的研究のように数値化はできなくても、世の中には意味や価値がある事象がある。即時的に一般化はできなくとも、質的研究の結果を受けた各人の比較や翻訳という行為を介して普遍に迫ることができるというのが質的研究だ、という主張に、なんとなく共感を持った。
本書によれば、そもそも量的研究と質的研究には、思想や哲学的なスタンスの違いがある。
量的研究の立場は客観主義的実在論であり、真実は妥当な手順を踏むことで、誰の目にも明らかな事実として存在している。対して質的研究の立場は、相互行為論や社会的構成主義といったような、ひととひととが関わりあいながら、解釈することによって現実は成り立つといった立場に立つ。
そのため、SCATの言語分析のアウトカムは、インタビュイーが言ったことのみならず、言おうとしたが言えなかったこと、さらに思ってもみなかったが、分析した結果、得られた内容までをも含んでいる。ある個人、一事例に深く切り込み、そこから普遍的な核のようなものを剔出するような方法といえるだろうか。
考えてみれば、芸術の世界が近いのかもしれない。例えば、小説や映画、絵画であっても、そこに示されているのは、具体的な“一つ”にすぎない。しかし、優れた表現であればあるほど、鑑賞する側の多くのひとに共感され、支持を受ける。それは、具体的なケースを描いているようでいて、誰しもが持っている普遍的なイメージが共有されるからではないだろうか。
統計的な有意差では測れない妥当性の側面も、この世界にはたくさんあるのだろうと思う。
(塩﨑 由規)
出版元:名古屋大学出版会
(掲載日:2023-01-16)
タグ:質的研究
カテゴリ その他
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質的研究のための現象学入門
佐久川 肇
本書で言う現象学的研究とは、その人だけにしかわからないその人固有の「生」の体験について、できる限りその人自身の意味に沿って解き明かすことをさす。
対人支援のための現象学では、あくまで現象学の一部を援用するのであって、哲学科の学生が現象学を学ぶのとは異なる、と前置きがあり、ホッとする。正直、ハイデガーやフッサール、メルロ=ポンティやレヴィナスの原著はハードルが高すぎる。でも現象学は前から気になっていた。現象学の、事象そのものへ! というスローガンなどからも、肘掛け椅子の画餅の理論とは、対極に位置するような印象を受けてきた。客観から実存へとピボットするのは、より深く現実にコミットしよう、という誠実さを示しているように感じてきた。
現象学ではあらゆる前提を排して、「生」の経験の意味と価値を問う。クールでドライな量的研究の切れ味はないかもしれないけれど、歯切れのわるい人間味や、眼差しの温かさがある。理解が間違っているかもしれないが、そんなふうに感じる。
(塩﨑 由規)
出版元:医学書院
(掲載日:2023-01-17)
タグ:質的研究 現象学
カテゴリ その他
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魅惑の生体物質をめぐる光と影 ホルモン全史
R.H.エプスタイン 坪井 貴司
「生体の外部や内部に起こった情報に対応し、体内において特定の器官で合成・分泌され、血液など体液を通して体内を循環し、別の決まった細胞でその効果を発揮する生理活性物質を指す」。本書を読むにあたって「ホルモン」のことをあまり知らなかったので調べてみたら、このような解説がありました。わかったようなわからないようなというのが正直な感想です。そして読み終えて一番最初に思ったのは、ホルモンという物質の正体がいまだにハッキリとわからないところにこそ、本書の鍵があるのだということです。
すべての科学は、わからないものを理解するのが目的だともいえます。そのプロセスは多くの成功と失敗の上に成り立ちます。現在というタイミングで知りえた知識を、さも当たり前のように享受していてもそれらは先人の紆余曲折があってこその話で、忘れられがちな科学の道程を本書は示してくれます。
本書はホルモンについての解説本ではなく、研究者のドラマが描かれています。ホルモンについて学術的な内容もありますが、主役は研究者とそれを取り巻く人間であるところが本書の特徴といえます。
「犯罪」「若返り」「出産」「成長」「ジェンダー」などの大きな問題に関わる物質を研究するにあたり期待が膨らむ一方で、予期しえなかったリスクもあり、科学というものが持つ有益性と危険性も表裏一体のものとして物語は進みます。本書の帯には「欲望を支配する」という文言がありますが、人々の期待の裏側には欲望が見え隠れします。純粋な科学の物語ではなく、そこに欲望という要素が加わると一気に人間臭さが加わります。
ホルモンの歴史は決して過去の問題とはいえず、とりわけジェンダーの問題は最近になってから大きく取り上げられる機会が増えつつあります。ホルモン研究の歴史はまだまだ続編がありそうです。それは未知なるものに翻弄される物語なのかもしれません。
(辻田 浩志)
出版元:化学同人
(掲載日:2023-05-02)
タグ:ホルモン 研究史
カテゴリ 科学
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