語感トレーニング 日本語のセンスをみがく55題
中村 明
言葉というものは不思議な二面性を持ちます。細部に至るまでのキメの細かいルールにのっとって用いられる厳格な面もあれば、あいまいな部分や流行によって変化するという柔軟な一面もあります。とりあえずは文法に従って定型的な表現をしていれば、ある程度の意思伝達は可能になります。しかしながら言葉には奥行きの深さがあり、機械的な意思伝達に留まらないことは私たちも知っています。ちょっとした単語の選択や使いまわし1つによって同じ意味でも微妙なニュアンスの違いが生じます。またそれにより言葉を受け取る相手方が受ける印象が違ってくるから不思議でもあり、また難しくもあります。
私たちが日常何気なしに使う日本語という言語も、その使い方がうまい人とそうでない人がいますが、それは言葉を選ぶセンスによりその違いが出てくると説明されます。同じ意味の言葉を話しても(書いても)細かいニュアンスまで正確に伝えることができたり、こちらの心情を理解してもらえたらと願うと同時に、最低限誤った言葉の使い方をしたくないと考えます。
本書の目的は、そういった言葉の選択を的確にするトレーニングや意識付けであるといえましょう。堅苦しい感じはなく、クイズ番組を見ているような気軽な気持ちで読み進めることができるところに著者のセンスのよさを感じてしまいます。単語、文、文章をセンスよく使える人は作品全体にもセンスのよさがにじみ出てくるようにも思えます。
筆者は「言葉のにおい」という表現を使いますが、言葉を生き物として捉えておられるのがわかります。生き物である以上、それぞれの言葉には性別や年齢もあれば性格まで持ち合わせていることを教えられました。
社会で生きる私たちにとって自分の考えていること、感じていることを相手に正確に伝えるということはよりよく生きる上でとても重要な事柄です。言葉のトレーニングにより語感が高まり、的確な表現が身につけば素晴らしいことです。
日本語がこんなにも豊かな言葉であったことに感動を覚えました。正しく使ってみたい言葉です。
(辻田 浩志)
出版元:岩波書店
(掲載日:2011-12-13)
タグ:コミュニケーション 言語 語感 トレーニング
カテゴリ 人生
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言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く
Jennifer Mather Saul 小野 純一
Jennifer Mather Saul、小野 純一『言葉はいかに人を欺くか 嘘、ミスリード、犬笛を読み解く』(慶應義塾大学出版会)
井筒 俊彦、安藤 礼二、小野 純一『言語と呪術 井筒俊彦英文著作翻訳コレクション』(慶應義塾大学出版会)
人を欺く言葉
今回は2冊紹介したい。
まず、『言葉はいかに人を欺くか』。「噓」「ミスリード」「犬笛」をキーワードとして「言われていること」に対して人はどのような過程を踏んで理解するのか、過去の「政治家」の発言をもとにして、そもそも論(哲学)的解明を試みたものである。
人は誰しも「嘘」をつくことはいけないと教育されて育つ。ところが政治家の中には「嘘」ではないが本当のことでもないことを言い、「ミスリード」することで他人を本来の導きとは異なる方向に誘導する人がいるようである。
一方で、政治家に限らず人は日常的な会話の中で意識的and/or 無意識的に「ミスリード」する必要に駆られることもあるらしい。
たとえばこんな場合だ。「ある老婦人が死の間際に自分の息子が元気か知りたがっている」。「あなたは昨日、彼に会ったが(その時点で彼は元気で幸せそうだった)、その直後にトラックにはねられて死んだことを知っている」。さて、あなたはどうする?
①「彼は幸せで元気そうにしています」
②「昨日会った時、彼は幸せで元気そうでしたよ」
①では「嘘」をつくことになってしまう。したがって多くの人は、②と答える方が(「ミスリード」ではあるが)「善い」と考えることだろう。
人が幸せになる「嘘」や「ミスリード」(少なくとも欺いたり不幸にしたりしない)ならいいじゃないかとも思うが、本書では善悪や正義といった「道徳」や「倫理」は置いておいて考察は進められていく。「嘘」と「ミスリード」の区別について人は「直観的」にわかるものらしいが、議論をきちんと進めるためには言葉を定義しておく必要がある。
そのため「嘘をつくこと」の定義を導き出すために、まずは素朴な原案がつくられる。しかし吟味するとそこに矛盾が生じる。何かを加えるとうまく説明できたように見えるもまた新たに矛盾を生み、余計なところを削ったら解決した、と思ったら、という具合で実に8回に及ぶ見直しを経て(第一章すべてを費やして)ひとまず「定義」としての結論に至っている。かわいい装丁に欺かれてはいけない。これは相当ややこしそうな書籍だ。
やはり“スポーツ”であれ「言葉」のことであれ、「直観的」感覚を言い表すことは難しいのだ。無理やりにでもこんなアナロジーを導き出せば、少しはこちらのフィールドに引き込めるのではないかと、自らの読解力の弱さを慰めつつ手ごわい本書を読み進めてみることにした。
「犬笛」とは「アメリカの政治ジャーナリズムで誕生した」用語だ。文字通り、犬が人間には聞こえないような周波数の音を聞き分けることができることから転じ、一般的な言葉の中に、ある特定の人にだけ届く特異なメッセージを載せ、「政治家(または、そのアドバイザー)によって、大衆の大部分に気づかれないように設計された故意の人心操作」を狙う物騒な行為のことを指す。
物騒な話はあまり得意ではないので、これはもしかして、子どもの頃に唄っていた歌(小学校の校歌とか)の意味が大人になったらわかるようになり、数十年の時を経て詩に込められたメッセージが心に届いた、とかいうのと同じことか。と、ここでまた小欄の脳内景色はこちらの平和なフィールドに跳ぶ。
小欄は小学 5 年生のとき遊びでやった棒高跳が面白く、以来ウン十年こよなくそれを愛する者だが、街中でキャリアに長い棒状のものを積んだ自動車を見かけると、いまだに胸がドキドキとときめく。これもある種の「犬笛」か(政治的な意味も意義もないメッセージだが)。あるいは逆に、子どもの頃あれほど感動していた絵本を見てもさっぱり泣けてこない。こんなことがあると、「犬笛」にはそれが届く年齢というものがあって、物事はやはり時期をとらえることが大切ということか。などと脱線ばかりしてなかなか読了できないのである。
言語の力を解き明かす
2冊目は、『言語と呪術』。「言語は、論理(ロジック)であるとともに呪術(マジック)である」とあるとおり、言葉には「意味を伝達する」という機能だけでなく、情動を喚起する何かもともに伝えるという力がある。これを解き明かそうとして編まれた全 7 巻のシリーズの一冊だ。著者は日本人(井筒俊彦)だが、英文著作の翻訳本である。
今回紹介するこの2冊は、実は同じ訳者(小野純一)の手になるものだ。異質に見える2冊であるが、言葉の意味はどうやって成り立っているのかという点で両者に同じルーツを感じたとの由。
翻訳作業の中で生じたという小野の想いが興味深い。「活字に触れるようになって折りあるごとに、また勉学や研究のために、井筒俊彦の著作、そして彼の意味論に色々な形で向かうことはあったが、今回ほど濃密な取り組みはなかった。それはこの類稀な人物との対話に留まらず、その思索を辿る道行きでもあった。手渡された原著という地図を見ながら原著者の見た風景を追走しつつも、同じ旅程を経るというより、実地調査して復元し立体化してゆく行為に似ていた」と訳者あとがきにある。
時空を超越した対話
実際の対面でない出会い(しかも井筒は故人である)の中に「濃密」な「対話」を紡ぎ出す言葉(文字)の力と、それに融合しようとする小野の姿が、ホログラムのようにここに浮かび上がる気がするのである。
この情景は、小欄のテーマでもある体育・スポーツで交わされるノンバーバル(非言語)コミュニケーションの対岸にあるようでいて、その実は不離一体のものと直観され至極心地がよいのである。
(板井 美浩)
出版元:慶應義塾大学出版会
(掲載日:2021-10-10)
タグ:対話 言語
カテゴリ その他
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実はすごい!!「療法士」の仕事「自分の人生」も「相手の人生」も輝かせる仕事
POST編集部
POSTとは理学療法士(PT)・作業療法士(OT)・言語聴覚士(ST)のこと。ポータルサイト「POST」へ寄せられた質問の中から100問を選び、POST編集長を始め現役のPT・ST・OTが回答した。基本的な仕事内容から、学校選びや就職・転職・復職の実態についても踏み込んでいる。今後高齢化が進むにつれPOSTの活躍も求められる。まずPOSTを知ってもらい、さらに目指してもらいたいという熱意が伝わってくる。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:BABジャパン
(掲載日:2016-12-10)
タグ:理学療法士 作業療法士 言語聴覚士
カテゴリ その他
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言語と呪術
井筒 俊彦 安藤 礼二 小野 純一
言語とは情報伝達のツールである。今の時代に「呪術」なんて漫画や小説などのフィクションの中にしか存在しない。そういう考え方をされる方も少なくないかもしれません。実際私自身も本書を手に取ったとき「怪しげな本」という第一印象を持ちました。これを偏見といいます。読んでみると大真面目に言語の呪術性を説かれています。帯には「言語は論理(ロジック)であるとともに呪術(マジック)である」と書かれていますが論理面ばかりが目につく昨今、言語のルーツをたどっていけば呪術としての側面があり、我々が気づかないだけで、というよりもむしろ当たり前になりすぎて呪術としての側面が見えなくなっているだけであると筆者は述べます。ここで正しい理解の障壁となるのはご大層な儀式が呪術であるという認識だと思います。さらに科学の発展により昔の呪術的な儀式は否定されていることも筆者の意見に耳を傾けることの邪魔になっているかもしれません。
もともと言語は自分の願いを表象することが最初の目的なのでしょう。赤ん坊が「まんま」と言ったりするのも食べて命を長らえたいという願いであり、自らの希望を伝える手段を呪術と捉えるのであれば理解も容易になることでしょう。今の時代においても文化の中に取り込まれた呪術は存在します。大安や仏滅などの六曜もいまだに書かれたカレンダーがありますし、ごはんを食べるときに「いただきます」というのも立派な呪術であるという目線があれば本書をしっかりと読めるはずです。そして筆者の目的は宗教的なものを肯定するのではなく言語を哲学するところにあるのだと確信します。
本書の肝は言語として発したワードには、発信者の心にある「何か」を聞き手の心の中に呼び起こすと言われ、その「何か」を「内包」と称し研究の対象としているところにあります。言葉の中には発信者のイメージや経験あるいは思想などが含まれたものとしている点に、心であったり魂という部分までもが言葉だと考えることで呪術性の正当性を裏付けています。本来人の心の中にあるものなんて容易にわかるものではないはずなんですが、4つの要素に整理して考察を進めます。「指示的」「直観的」「情緒的」「構造的」と発信者の心の裡にある要素を分類しています。4つの要素に対する説明も様々なジャンルの文献を引用しながら進められていますので、筆者個人の意見という感じではなく客観性を感じました。
本書は「英文著作翻訳」となっておりますが、翻訳者の言葉の選択もすごく繊細な印象を持ちました。
(辻田 浩志)
出版元:慶應義塾大学出版会
(掲載日:2024-02-06)
タグ:言語
カテゴリ その他
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言語と呪術
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