ヒトゲノム 解読から応用・人間理解へ
榊 佳之
副題は「解読から応用・人間理解へ」。
ヒトゲノムについては、2000年6月26日、日米英仏独中の6カ国からなる国際ヒトゲノム計画プロジェクトチームとアメリカのバイオベンチャー企業セレラ・ジェノミクス社が、それぞれヒトゲノムの全貌を明らかにしたことを宣言した。
だが、これで何もかも終わりではない。DNAの配列(シークエンス)がほぼわかっただけで、これからの課題のほうが大きい。だから「ポストゲノム」ではなく「ポストシークエンス」と言うべきなのだと著者は言う。
ITの次はバイオだと言われ、大型書店では「生命科学」あるいは「遺伝子」というコーナーが設けられている。しかし、その割にはまだ一般的にはあまり理解されていない。
もちろん、その内容が複雑であり、やさしく書かれた本でも実はある程度知識がないと理解できないという事情もあるが、この本はその中でも比較的わかりやすい。副題の通り、ヒトゲノムの解明が何につながるのかが、これまでの歴史(その中での日本人研究者の業績も含め)とともに語られる。
著者は、東京大学医科学研究所教授、理化学研究所ゲノム科学総合研究センタープロジェクトディレクター。生物学と情報科学の両方の知識のある人、あるいは両者の共同作業が必要だがその人材が不足しているという指摘もある。
とても身近な問題として、生命科学あるいはヒトゲノムを捉えておくのは、何もスポーツ医学関係者に限ったことではなく、生命である「私」なら当然と思うのだが・・・。
榊佳之著 新書判 198頁 2001年5月1日刊 700円+税
岩波書店
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:岩波書店
(掲載日:2001-11-29)
タグ:ゲノム 遺伝子 DNA
カテゴリ 生命科学
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遺伝子 vs ミーム
佐倉 統
著者は理学博士で、もともとの専門は進化生物学だが、科学史や科学論の領域に焦点を移し、生物学の理論受容史や科学技術と社会のあるべき関係を探索中とのこと。
「ミーム(meme)とは、文化的情報の伝達単位である。生命情報の単位が遺伝子であることからのアナロジーとして連想されたもので、言い換えると、文化システムを生命システムからのアナロジーで記述するための基本的な概念である」(P.13)
この概念は「利己的遺伝子」で知られるR・ドーキンスが考えたもので、批判もある。だが、ここでは著者のこの言葉を引用しておきたい。
「ぼくはミームという概念の有効性は、定量的な記述や予測などではなく、比喩やアナロジーにもとづく問題発見能力にあると思う」(P.214)
物を考える視点(あるいは技術)はいくつも持っているほうがよい。学問もスポーツもミームに満ち溢れている。簡単に読めるようで、考えるところが多く残される本である。
新書判 230頁 2001年9月1日刊 1000円+税
(月刊スポーツメディスン編集部)
出版元:廣済堂出版
(掲載日:2001-11-15)
タグ:遺伝子
カテゴリ 生命科学
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やわらかな遺伝子
マット リドレー 中村 桂子 斉藤 隆央
原題は「nature via nurture」、つまり「生まれは育ちを通して」と訳される。原題には副題もあり、こちらは「Genes, Experience and What Makes Us Human」(遺伝子、経験、そしてわたしたちをヒトたらしめるもの)である。
遺伝子について加速度的に解明が進むことにより、遺伝子決定論的言説も出てくる。一方で、育ち(環境)の影響も大であり、「生まれか育ちか(遺伝か環境か)(nature vs nurture)」、いずれが決定的なのかという論戦が繰り広げられることになる。
それでも著者は、「生まれか育ちか」ではなく、「生まれは育ちを通して」現れるという説を採る。「遺伝子の活動が最初から決まっているとは言えない。むしろ、遺伝子は環境から情報を引き出す装置なのだ」「美は『生まれ』なのである。だが同時に『育ち』でもある。食事や運動、清潔さや事故なども身体的な魅力に影響を及ぼしうるし…」「『育ち』は出生後で『生まれ』は出生前のものという誤信にある」。この引用で輪郭は理解していただけるであろう。
だが、興味深いことに訳者は『やわらかな遺伝子』という書名をつけた。訳者はこう言う。その理由のひとつは、英語のnature via nurtureという語呂のよさが訳出できないこと、もうひとつは「生まれという言葉には、すでに遺伝子決定論の匂いがついており、本書で扱っている“環境に対応して柔軟にはたらく遺伝子”というイメージはこの言葉からは生まれそうにないこと」である。
遺伝子のことがわかればわかるほど、環境や運動がいかに大事かもわかるのである。
マット・リドレー著、中村桂子・斉藤隆央訳
(清家 輝文)
出版元:紀伊國屋書店
(掲載日:2012-10-09)
タグ:遺伝子
カテゴリ 生命科学
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人間は遺伝か環境か? 遺伝的プログラム論
日高 敏隆
遺伝子の研究が急速に進み、遺伝子でだいたいのことは決まっていると思いがちだが、もちろん環境要素も大きい。だから、「遺伝か環境か」と問われる。だが、著者はこう言う。「そもそも遺伝子とか遺伝とか言うけれど、何のことを言っているのだろう?(中略)遺伝と環境の両方といったらどういうことなのだ?」
これについて、生物学、とくに現代動物行動学の認識に立って、根本的に考えてみたのが本書である。「遺伝子と『持って生まれた性質』としての遺伝との関係がどうなっているのかは、じつはまだほとんどわかっていない。『遺伝』とは、そういう漠然とした状況の中で使われている言葉なのである」そこで出てくるキーワードが「遺伝的プログラム」である。これについて著者はわかりやすくこうたとえている。
「遺伝的プログラムとは、入学式などの式次第とよく似たものである」。つまり開会の辞だの、校長あいさつだの、「順番」は決まっているが、どんなふうに行われるかは書かれていない。しかし、こうして順番どおり具体化されることがプログラムにとって大切なことである。遺伝的プログラムも同じで、種にとって共通で一般的なのだが、具体化していくのは、ひとつひとつの個体である。個体(個人)が覚えたこと、経験したこと、癖、気分、それらを含めて発育が進んでいく。つまり「人生とは遺伝的プログラムの具体化だ」ということになる。「遺伝か環境か」、この問いに対する考え方が変わる本である。
2006年1月20日刊
(清家 輝文)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2012-10-10)
タグ:遺伝子 環境要因
カテゴリ 生命科学
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遺伝子が解く! 万世一系のひみつ
竹内 久美子
動物行動学を専門とする竹内氏が素朴な疑問に答える週刊文春の連載をまとめた本。読者が寄せた55の質問とその回答を収めている。
最初に取り上げられている43歳男性の“(前略)男にとって女性のくびれは、いったいどんな意味を持っているのでしょうか”という質問では、「くびれたウエストは、妊娠していない(あるいはした経験がない)ことの証」という説をきっぱりと否定、くびれている女性が受胎しやすいこと、男性にとってくびれている女性が圧倒的に人気があることを示した研究を挙げ、「そもそも人間の女は、脂肪を如何に体にめりはりつけて蓄えるかを魅力にする動物なのです」と説く。38歳女性の飼い主とペットが似ているのがなぜかとの疑問には、人間が似たもの同士で惹かれる現象(アソータティブ・メーキング)を引き合いに出し「ペットとの間にも出てしまったということ」と回答。顔写真からペットの飼い主を当てるクイズが収められているが、正解を見ると思わず納得してしまう。
遺伝子がいかに私たちのからだに作用しているか、読めば読むほど実感できる。
2006年5月15日刊
(長谷川 智憲)
出版元:文藝春秋
(掲載日:2012-10-11)
タグ:遺伝子
カテゴリ 身体
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迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか
Sharon Moalem Jonathan Prince 矢野 真千子
「この本に書かれているのは、謎と奇跡の話である。医学と伝説の話である」と意味深に始まる本書は、アルツハイマー病の遺伝的関係の新発見で知られるシャロン・モアレム氏と、クリントン元大統領のホワイトハウス上級顧問・スピーチライターのジョナサン・プリンス氏の著。とくに遺伝子学的な知見に富んでいるので、世界中で知られる疫病の問題やアルコールの問題についても、遺伝子とどう関連をもっているのかについてなど大変興味深い内容である。
シャロン氏は祖父がアルツハイマー病と診断されたとき、アルツハイマーとヘモクロマトーシスの2つの病気には関連があるのではないかと考えた。まだ彼が15歳のときである。
そんな彼の小さなときからの取り組みがさまざまな問題意識を高め、大学院に進みアルツハイマー病を解明するに至った。だがその仮説を証明した後、祖父はアルツハイマー病と診断されてから5年後に亡くなる。
人のために科学があるのであって、それに尽力した科学者の“謎と奇跡”の本。ぜひ読んでいただきたい。
シャロン・モアレム、ジョナサン・プリンス著、訳・矢野真千子
2007年8月25日刊
(三橋 智広)
出版元:日本放送出版協会
(掲載日:2012-10-12)
タグ:進化 病気 遺伝子
カテゴリ 身体
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黒人はなぜ足が速いのか 「走る遺伝子」の謎
若原 正己
ACTN3(αアクチニン3)やACE(アンジオテンシン変換酵素)などの遺伝子のほか、ミトコンドリア遺伝子なども取り上げながら、中・長距離は東アフリカ勢、短距離走はカリブ海勢が強いのはなぜか、を追求している。
たとえば長距離走についてはケニアのカレンジン地方において「酸素の少ない高所で長時間走る」環境により選択された身体内部の生理学的な遺伝要因に加え、手足の長さなどの形質的な要因が組み合わさって、全体として適応進化したのではないかという推論を述べている。
多くの研究にあたって丁寧な解説が加えられており、遺伝子とスポーツに関する数多くの話題が紹介されている。
(月刊トレーニング・ジャーナル編集部)
出版元:新潮社
(掲載日:2010-12-10)
タグ:遺伝子
カテゴリ 身体
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遺伝子vsミーム
佐倉 統
2010年サッカーのワールドカップで、日本はベスト16になった。予選リーグで敗退した前回ドイツ大会では、チームが一つになりきれなかったことが敗因であると言われた。今回のチームは、その教訓を活かし、チームが一つの方向に向かうことができたという。
人間の人間たるゆえん――それは、遺伝子からは独立した形で情報を次の世代に伝えることができることである。つまり教育と学習によって、文化伝統を伝えていくことができる生き物が、人間であると。
世代を越えて継承されていく情報システムとういう特徴を兼ね備えた文化は、人間以外の動物にはほとんど存在しない。そして、この文化の情報伝達単位を「ミーム」と呼ぶ。著者はこのミームが、民族問題・教育問題・老人問題などを解決するヒントになるのではと語る。
人間は、望むと望まざるとにかかわらず、ミームを受け継ぎ、受け渡してしまう ―つまり学ばざるをえない―生き物なのである。 だからこそ、教育が大切であり、ミームの乗り物たる老人がもっともっと子供と接する機会を増やすべきだと。
日本中を熱狂させた、サッカー日本代表は、まさに「ミーム」を受け継ぎ、それを活かした好例である。「ミーム」=「侍魂」と置き換えてみると、またおもしろいようだ。
(森下 茂)
出版元:広済堂出版
(掲載日:2012-10-16)
タグ:遺伝子 ミーム
カテゴリ その他
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スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学
David Epstein 福 典之 川又 政治
もうひとつの「ウサギとカメ」
ウサギとカメという童話がある。どうも納得しかねるこのお話を改変して子どもたちに聞かせたことがある。ウサギに足が遅いことをからかわれたカメは「なら潜水で勝負しようじゃないか」という言葉をぐっと飲み込み、かけっこ勝負を承諾する。このカメは自分が苦手とする領域にあえて挑戦することで、己を変えたいと考えていたのだ。水辺から離れられずに生きていくより、未知の陸地で生き残る存在になるために、エサを確保し、危険から身を守る速さを身につけなければならない。いい機会だとカメは自分なりにトレーニングを積みウサギに挑んだが、スタート直後に自分なりの努力ではどうにもならないことを思い知らされる。「もし君が勝ったら僕は君の言うことをなんだって聞いてあげよう!」そう言い残してウサギはあっという間もなく見えなくなってしまっていた。そもそも命の成り立ちが違う相手に勝負を挑むことは意味がないのか。そんな思いに捉われ、カメは今更ながら愕然とする。
命の成り立ちの設計図である遺伝子の中に、運動能力を決定づけるものは存在するのか。また生まれ持った生理学的資質にトレーニングがどのような影響を与えるのだろうか。本書はそれらの疑問に答えるべく、様々な国や地域、競技、年代を巡って探求した情報を満載している。著者はアメリカのジャーナリストであるDavidEpstein氏。邦題では「スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学」とあるが、原題は「THE SPORTS GENE Inside the Science of Extraordinary Athletic Performance」であり、「勝者」という表現は含まれていない。内容も勝つためというより人間の持つ多様性や可能性を探っているような印象を受ける。大切なのは持って生まれたハードウェアなのか、インストールされたものを学習によってモディファイしたソフトウェアなのか。
カメはしかし思い直す。本当に競うべき相手は、なりたいと思う自分だ。自分を高めたいという欲求は自然に湧きあがってきた感情だ。この勝負を受けたいと思ったことも自分の意志だ。そしてこんな気持ちになることも自分の命の成り立ちの一部だ。絶望的な状況でも逃げ出せばそこで終わりだ。背を向けてたまるもんか。そう考えて全力で走る。一方ウサギはふと立ち止まり、後ろを振り返る。カメは遥か後ろをよたよたと歩いている。やれやれ、こんな勝負に意味はあるのか。ため息をついて、今来た道を戻り始める。「もうやめちまえよ! みっともない! そもそも、お前さんは速く走れるように生まれちゃいないんだ!」カメは息を切らしながら走っているので、言葉を返せない。ちらりとウサギを見た後はまっすぐ前を見据え、ただひたすら走り続ける。
言い切れるほどの単純さか
努力は嘘をつかないという「一万時間の法則」は本当にありえるのか。「大切なのはハードウェアではなくソフトウェアだ」と言い切れるのか。そもそもハードウェアである人体の形質はそんな単純なものなのか。運動能力に関わる遺伝子は一体どれほどの数になるのか。「ウエイトトレーニングにより遅筋線維のおよそ2倍成長する」という速筋線維の割合が高ければハイパワー系の競技で有利になるだろう。しかしその代謝効率をさらに高める遺伝子も存在するようだ。また「筋肉の成長を止める作用に関係するミオスタチンがないと筋肉は急成長する」という。
ローパワー系競技でも、「生まれつき高い最大酸素摂取量に恵まれて」いれば有利になるだろう。しかし、スタートが同じであっても「トレーニングに対する反応速度が高いケース」もあれば「低いケースもある」。標高が高いところでの生活への適応はなにもヘモグロビン量が増えるという形だけではない。「ヘモグロビン量が海抜ゼロ地域に住む人間とほぼ同等の値で酸素飽和度が低いが、血中の一酸化窒素濃度が高いため肺の血管が弛緩」し、「定常的な過呼吸ともいえる状態」で生き残ってきた人々もいる。赤血球数が血液ドーピングと判断されるほど高いにもかかわらず、EPOの分泌量は一般より低いアスリートもいたという。EPO受容体遺伝子の変異が関わっていたのだ。
カメの揺るがない態度に少し胸が痛んだウサギだが、次はあてこすりに少し先で寝たふりをしてみた。カメは走り続けている。甲羅を脱ぐことができれば、もっと長い脚だったら、もっと強い心臓だったら、カメはそんなことも考えてしまう。それでも、カメはなぜだか楽しくなってきていた。周りができないだろうと思っていることに挑戦している自分が滑稽だが誇らしくも思えてきた。こんなことを続けているうちに、もしかしたら何百年か先に脚が異常に速いカメの種族が生まれているかもしれないとまで考えて可笑しくなった。そうなればボクが創始者ということになるのかな。ふと見るとウサギが寝ている。ダメだ、ウサギくん、ボクにとってはこのかけっこは命を育む神聖なものになっているんだ。それを汚すような真似はやめてくれたまえ。追い越しそうになったカメはドンとぶつかってウサギを起こしキッと睨みつけた。ウサギはまた少し胸が痛んだ。
遺伝子の違いで生まれるもの
「腰幅が狭いと走行効率がよい」し、「身体のボリュームに比べて表面積が大きいほど放熱機能がより効果的に働く」。「身長が高いだけでなく、アームスパン対身長比が大きければ、バスケットボールのゴールにより届きやすくなる」。また「下腿の容積と平均的な太さが小さければランニングエコノミーが向上する」し、「へその位置が高い選手(黒人)は走る速さが1.5%向上し、へその位置が低い選手(白人)は泳ぐ速さが1.5%向上する」という報告もある。遺伝的な形態も多様であり、その影響は小さくない。
Y染色体とSRY遺伝子の両方を持っているが、テストステロンの分泌量や感受性によって女子競技への参加が認められる選手もいる。遺伝子の多様性は時に男女の区別をも困難にするのだ。
結局ずいぶん先にゴールしたウサギは、カメが息を切らし、身体を引きずるようにしてやって来るのを待っていた。「キミには負けたよ、カメくん。ボクがキミにしてあげられることはないかい?」疲労困憊だが満たされた表情でカメは答えた、「それならボクの脚が速くなるように一緒にトレーニングしてくれないかい。ボクだって自分を変えたいんだ。お返しにボクはキミに潜水を教えてあげるから。」こうしてふたりの特訓は始まった。おかげでカメはずいぶん速く走れるようになった。ウサギは潜水も少しは覚えたが、カメとの特訓のおかげでその脚の速さはチーターにも負けないほどになった。それでもウサギは二度と自分より脚の遅いものをバカにしたりしなかった。誰かのいいところっていうのは、ひとつの物差しでは測れないことに気づいたからだ。なにより彼らはお互いに尊敬し合える素晴らしい仲間を手に入れたのだ。「運動能力のような複雑な形質は、往々にして数十から数百、場合によっては数千もの遺伝子の相互作用の結果として生まれるものであり、さらに環境要因も考慮に入れなければならない」。「多くの遺伝子は身体の形質に影響を与えるだけで、人に致命的な影響を及ぼすものではない」し、「すべての人間が異なる遺伝子型を保有している。よって、それぞれが最適の成長を遂げるためには、それぞれが異なる環境に身を置かねばならない」のだ。
遺伝子検査をすることでHCM(肥大型心筋症)のリスクを把握し、フィールド上で起こり得る不幸な事故を防ぐことができるかもしれない。頭部を強打した際に脳損傷がより大きくなり、回復にもより多くの時間がかかり、中年期以降に認知症の発症リスクが高くなる原因遺伝子の型が判別できれば、安全面からのスポーツ種目の選択や脳振盪を起こした際の復帰ガイドラインの改正につながるかもしれない。遺伝子情報をこのような形で活かすことは推進されるべきだろう。だが総じて言えば「誰にできるとはいえ、他の誰とも異なる、生物学的かつ心理学的な自己探求」が大多数の人にとってのスポーツであり、人生の味わい深いスパイスとなりえるものだ。全てがわかりすぎるというのも味気を抜いてしまうように思う。
(山根 太治)
出版元:早川書房
(掲載日:2016-09-10)
タグ:遺伝子
カテゴリ スポーツ医科学
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